ジョン・レズリー (第10代ロシズ伯爵)とは? わかりやすく解説

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ジョン・レズリー (第10代ロシズ伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 18:34 UTC 版)

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ジョシュア・レノルズによる肖像画。

第10代ロシズ伯爵ジョン・レズリー英語: John Leslie, 10th Earl of Rothes KT PC (Ire)1698年? – 1767年12月10日)は、グレートブリテン王国の軍人、スコットランド貴族。50年以上イギリス陸軍に従軍して、晩年はアイルランド軍総司令官英語版(在任:1758年 – 1767年)を務めた[1]。最終階級は陸軍大将(1765年[1])。

生涯

第9代ロシズ伯爵ジョン・レズリーと妻ジーン(Jean、旧姓ヘイ(Hay)、1731年9月4日没、第2代ツィードデール侯爵ジョン・ヘイの娘[2])の息子として、1698年ごろに生まれた[3][1]

1715年ジャコバイト蜂起が勃発すると、大尉としてオーウェン・ウィン英語版将軍の竜騎兵連隊英語版に入隊、1717年7月17日に近衛歩兵第3連隊に転じた[1]。1721年1月21日に第21歩兵連隊英語版の中佐に昇進した[1]

1722年5月9日に父が死去すると、ロシズ伯爵位を継承、同年8月30日に父の遺産継承者として認定された[2]。父が務めていたスターリング城総督英語版職にも任命され[3]、1741年まで務めた。世襲職のファイフ司法官英語版Sheriff of Fife)については1722年5月18日に辞令を受け、再任命が確定した[4]。1723年にスコットランド貴族代表議員に選出され、1727年に再選した[3]1734年イギリス総選挙で貴族代表議員を退任したが、1747年の総選挙で再び当選、1754年1761年に再選した[3]

爵位継承以降も軍務を続け、1732年5月25日に第25歩兵連隊英語版隊長(軍階は大佐)に昇進した[3]。1739年7月2日に准将に、1743年1月1日に少将に昇進[1]、同年6月16日にオーストリア継承戦争におけるデッティンゲンの戦いに参戦した[4]。1745年4月25日にホース・グレナディア・ガーズ英語版第2中隊隊長に転じ、同年5月29日に第6竜騎兵連隊英語版隊長に転じた[4]。その後、1746年10月のロクールの戦いでは騎兵を率いて突撃した[3]。同年、ファイフ統監英語版に任命された[1]。1747年8月5日に中将に昇進[1]、1750年1月16日に第2竜騎兵連隊英語版隊長に任命され、同年4月に近衛歩兵第3連隊隊長に任命された[3]。1753年3月3日、シッスル勲章を授与された[3]

スコットランド世襲的司法権廃止法英語版により1747年にファイフ司法官英語版Sheriff of Fife)の世襲権を放棄、補償金に1万ポンドを主張したが最終的には6,268ポンド16シリングを受け取った[3]

1751年よりアイルランド駐留になり、1754年にダンキャノン砦総督英語版に、1756年にアイルランド枢密院英語版の枢密顧問官に、1758年にアイルランド軍総司令官英語版に任命された[1]。1765年3月19日、陸軍大将に昇進した[1]

1763年6月8日、エディンバラの市民権(Freedom of the City)を得た[1]

1763年12月25日に邸宅のレズリー・ハウス(Leslie House)が火事で全焼し[5]、その再建の資金を捻出するためにバリンブライ英語版男爵英語版領を2万ポンドで初代準男爵サー・ローレンス・ダンダス英語版に売却した[6]

1767年12月10日にレズリー・ハウスで死去[3]、17日にファイフレズリー英語版で埋葬された[1]。長男ジョンが爵位を継承した[2]

家族

1741年3月23日にハンナ・ハワード(Hannah Howard、1761年4月26日にダブリンにて没、マシュー・ハンナの娘)と婚約、5月25日にロンドンで正式に結婚した[2]。2人は2男2女をもうけた[2]

  • ジョン(1744年10月19日 – 1773年7月18日) - 第11代ロシズ伯爵[2]
  • チャールズ(1747年ごろ – 1762年8月18日)
  • ジェーン・エリザベス(1750年5月5日 – 1810年6月2日) - 第12代ロシズ女伯爵
  • メアリー(1753年8月29日 – 1799年3月21日) - 1770年11月5日、第3代ポートモア伯爵ウィリアム・コリヤー英語版と結婚、子供あり

1763年6月27日、ティニンガム英語版でメアリー・ロイド(Mary Lloyd、1743年[1] – 1820年1月14日、グレシャム・ロイドの娘)と再婚した[2]。2人の間に子供はいなかった[7]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m Paton, Henry; Spain, Jonathan (23 September 2004). "Leslie, John, tenth earl of Rothes". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/16497 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e f g Paul, James Balfour, Sir, ed. (1910). The Scots Peerage (英語). VII. Edinburgh: David Douglas. pp. 304–306.
  3. ^ a b c d e f g h i j Paton, Henry (1893). "Leslie, John (1698?-1767)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 33. London: Smith, Elder & Co. pp. 104–105.
  4. ^ a b c Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 129.
  5. ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 130.
  6. ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 134.
  7. ^ Leslie, Charles Joseph (1859). Historical Records of the Family of Leslie from 1067 to 1868-9 (英語). II. Edinburgh: Edmonston and Douglas. p. 137.

関連図書

外部リンク

軍職
先代:
ロシズ伯爵
スターリング城総督英語版
1722年 – 1741年
次代:
ラウドン伯爵英語版
先代:
ジョン・ミドルトン英語版
ロシズ伯爵の歩兵連隊英語版隊長
1732年 – 1745年
次代:
センピル卿
先代:
ティローリー男爵英語版
ホース・グレナディア・ガーズ英語版第2中隊隊長
1745年
次代:
ピーターシャム子爵
先代:
ステア伯爵
第6竜騎兵連隊英語版隊長
1745年 – 1750年
次代:
ジェームズ・チャムリー閣下英語版
先代:
クロフォード伯爵
第2竜騎兵連隊英語版隊長
1750年 – 1752年
次代:
ジョン・キャンベル・オブ・マモア英語版
先代:
ダンモア伯爵
近衛歩兵第3連隊隊長
1752年 – 1767年
次代:
グロスター=エディンバラ公爵
先代:
ジャーヴァス・パーカー英語版
ダンキャノン砦総督英語版
1754年 – 1767年
次代:
ロバート・バーティー卿英語版
先代:
モールズワース子爵英語版
アイルランド軍総司令官英語版
1758年 – 1767年
次代:
ウィリアム・ケッペル閣下英語版
スコットランドの爵位
先代:
ジョン・レズリー
ロシズ伯爵
1722年 – 1767年
次代:
ジョン・レズリー



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