ジョン・モウブレー (第4代ノーフォーク公)とは? わかりやすく解説

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ジョン・モウブレー (第4代ノーフォーク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/08 02:30 UTC 版)

ジョン・モウブレー
John Mowbray
第4代ノーフォーク公
ジョン・モウブレーの紋章
在位 1461年 - 1476年

称号 サリー伯
出生 (1444-10-18) 1444年10月18日
死去 (1476-01-14) 1476年1月14日(31歳没)
配偶者 エリザベス・タルボット
子女 アン
家名 モウブレー家
父親 第3代ノーフォーク公ジョン・モウブレー
母親 エレノア・バウチャー
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第4代ノーフォーク公ジョン・モウブレー(John Mowbray, 4th Duke of Norfolk, 1444年10月18日 - 1476年1月14日)は、イングランドの貴族である。

生涯

第3代ノーフォーク公ジョン・モウブレーとエレノア・バウチャー(ウー伯ウィリアム・バウチャーとアン・オブ・グロスターの娘)の一人息子として生まれた。

1451年に再創設されたサリー伯に叙爵、1461年に死んだ父の後を継いでノーフォーク公となり所領を継いだ。薔薇戦争ではヨーク朝のイングランド王エドワード4世に従いランカスター朝の掃討に務め、1462年スコットランドから南下したマーガレット・オブ・アンジューらランカスター派をノーサンバーランドで迎え撃ちアニック城などを奪った。しかしエドワード4世に所領を狙われ、1465年に祖母キャサリンが王妃エリザベス・ウッドヴィルの弟ジョンと政略結婚させられている。それでもエドワード4世に従い続け、彼が弟のクラレンス公ジョージ・プランタジネットウォリック伯リチャード・ネヴィルと対立した時はエドワード4世に味方したためウォリック伯に捕らえられたが、エドワード4世がウォリック伯を討ち取り権力を取り戻すと解放された[1]

一方、ノーフォークではジョン・ファストルフの遺産を巡り相続人達がいがみ合い、ノーフォーク公は片方のグループの誘いに乗り、もう一方のパストン家に圧力をかけた。1469年8月にカイスター城英語版を攻撃し始め、オックスフォード伯爵ジョン・ド・ヴィアーとクラレンス公の仲介も無視して9月にカイスター城を奪い取った[2]。翌1470年にウィンチェスター司教ウィリアム・ウェインフリート英語版の仲介でカイスター城をパストン家へ返したが、1471年6月に再奪取、パストン家に同情した妻やエドワード4世の仲介にも耳を貸さず、死ぬまで城を手放さなかった[3]

しかし、エリザベス・タルボット(初代シュルーズベリー伯ジョン・タルボットとマーガレット・ビーチャムの娘)と結婚したが、1476年にノーフォーク公が死んだ時、夫妻の間に息子がいなかったために公爵位は消滅し、広大な所領と財産は3歳の一人娘アン・モウブレーが相続、1478年にアンはエドワード4世の次男リチャードと結婚した。カイスター城も王家の承認の下パストン家に返還された[4]

脚注

  1. ^ ギース、P180 - P181、ロイル、P276、P297、P307、P321。
  2. ^ ギース、P208 - P210、P234 - P235、P248 - P263、ロイル、P293 - P294。
  3. ^ ギース、P273、P280、P294、P306、P323 - P327。
  4. ^ ギース、P327 - P331、ロイル、P345。

参考文献

イングランドの爵位
先代
創設
サリー伯
1451年 - 1476年
次代
消滅
先代
ジョン・モウブレー
ノーフォーク公
1461年 - 1476年
公職
先代
ノーフォーク公
軍務伯
1461年 - 1476年
次代
ヨーク公



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