ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)の意味・解説 

ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/04 00:38 UTC 版)

ジョン・モウブレー
John Mowbray
第3代ノーフォーク公
ジョン・モウブレーの紋章
在位 1432年 - 1461年

出生 (1415-09-12) 1415年9月12日
死去 (1461-11-06) 1461年11月6日(46歳没)
配偶者 エレノア・バウチャー
子女 ジョン
家名 モウブレー家
父親 第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレー
母親 キャサリン・ネヴィル
テンプレートを表示

第3代ノーフォーク公ジョン・モウブレー(John Mowbray, 3rd Duke of Norfolk, 1415年9月12日 - 1461年11月6日)は、イングランドの貴族で、薔薇戦争期の軍人である。第2代ノーフォーク公ジョン・モウブレーウェストモーランド伯ラルフ・ネヴィルの娘キャサリンの子。ノーフォーク公の称号を相続した1432年から軍務伯(後の紋章院総裁)の地位に就いた。

生涯

1450年代の薔薇戦争の初期にはヨーク家ヨーク公リチャードの側についていた。しかし、1459年にはランカスター家ヘンリー6世に忠誠を誓うも、その後すぐにヨーク派に戻った。この種の裏切りは、優劣の目まぐるしく移る薔薇戦争中には決して珍しくはなかった。1461年2月に第2次セント・オールバンズの戦いでヨーク派として戦ったが敗れた。3月にヨーク公の息子マーチ伯エドワード(後のエドワード4世)に即位を促したりもしている。

1461年3月29日のタウトンの戦いにおいては、正午頃にヨーク派右翼に加勢して、ヨーク派の勝利に貢献した。後に元帥伯としてエドワード4世の戴冠式を執り行った。同年11月に死去、妻エレノア・バウチャー(フランス北部のウー伯ウィリアム・バウチャーグロスター公トマス・オブ・ウッドストックの娘アン・オブ・グロスターの娘)との間の一人息子ジョンが後を継いだ。

公職
先代
ノーフォーク公
軍務伯
1432年 - 1461年
次代
ノーフォーク公
先代
アランデル伯
巡回裁判官
Justice in Eyre
南トレント

1461年
次代
エセックス伯
爵位・家督
先代
ジョン・モウブレー
ノーフォーク公
1432年 - 1461年
次代
ジョン・モウブレー



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)」の関連用語

ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのジョン・モウブレー (第3代ノーフォーク公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS