ジョン・ストレイチー (ジャーナリスト)とは? わかりやすく解説

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ジョン・ストレイチー (ジャーナリスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/04/17 11:54 UTC 版)

ジョン・セント・ロー・ストレイチー(John St Loe Strachey、1860年2月9日 - 1927年)は、イギリスジャーナリストニュース・メディア経営者。

ストレイチーは、第3代準男爵エドワード・ストレイチーと、その妻メアリ・イザベラ(Mary Isabella:旧姓シモンズ (Symonds))の次男であり、初代男爵エドワード・ストレイチー (Edward Strachey, 1st Baron Strachie) の弟、ヘンリー・ストレイチーの兄である。オックスフォード大学ベリオール・カレッジに学び、後に弁護士資格を得たが、ジャーナリズムの道に進んだ。1887年から1925年まで、ストレイチーは週刊誌『The Spectator』の編集人であった。ストレイチーは外交官サー・セシル・スプリング・ライス (Sir Cecil Spring Rice) の親友で、信頼を得ており、永年にわたり通信のやりとりをしていた[1]

家族

ストレイチーは、1887年7月13日に、妻エイミー(Amy、1866年 - 1957年)と結婚し、ふたりの間には息子2人と娘1人が生まれた[2]。ストレイチーの同名の息子、ジョン・ストレイチー (John Strachey) は、長じて労働党の政治家、大臣となった。また、娘アマベル (Amabel) は、建築家クロー・ウィリアムス・エリス (Clough Williams-Ellis) と結婚した。

おもな著書

  • The Adventure of Living (1922) - 自伝
  • The River of Life (1924)
  • The Madonna of the Barricades (1925) - 小説
  • American Soundings (1925).

脚注

  1. ^ Burton, David Henry (1990). Cecil Spring Rice: A Diplomat's Life. Page 22: Fairleigh Dickinson Univ Press. ISBN 978-0-8386-3395-3. http://books.google.com/books?id=kCGKtLkHnxAC&source=gbs_navlinks_s. 
  2. ^ A. J. A. Morris, ‘Strachey, John St Loe (1860–1927)’, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, 2004; online edn, Jan 2008 accessed 17 April 2014

関連項目

外部リンク

メディア
先代:
R. H. Hutton
The Spectator』誌 編集人
1887 - 1925
次代:
Evelyn Wrench



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