ジョン・ウェスト (初代デ・ラ・ウォー伯爵)とは? わかりやすく解説

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ジョン・ウェスト (初代デ・ラ・ウォー伯爵)

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/03 03:58 UTC 版)

初代デ・ラ・ウォー伯爵ジョン・ウェスト
ニュージャージー植民地総督
任期
1737年6月20日 – 1737年9月(就任せず)
君主ジョージ2世
ニューヨーク植民地総督英語版
任期
1737年6月20日 – 1737年9月(就任せず)
君主ジョージ2世
副知事ジョージ・クラーク英語版
グレイヴセンドおよびティルベリー総督英語版
任期
1747年 – 1752年
君主ジョージ2世
前任者アダム・ウィリアムソン
後任者カドガン男爵英語版
ガーンジー総督英語版
任期
1752年 – 1766年3月16日
君主ジョージ2世
ジョージ3世
前任者サー・ジョン・リゴニア英語版
後任者サー・リチャード・リトルトン英語版
個人情報
生誕ジョン・ウェスト閣下
1693年4月4日
イングランド王国
死没1766年3月16日
配偶者シャーロット・マッカーシー
アン・ウォーカー
子供ダイアナ
ジョン英語版
ジョージ・オーガスタス
ヘンリエッタ

初代デ・ラ・ウォー伯爵ジョン・ウェスト中将英語: John West, 1st Earl De La Warr KB PC FRS1693年4月4日1766年3月16日)は、グレートブリテン王国の貴族、軍人、政治家。1723年までジョン・ウェスト閣下儀礼称号を、1723年から1761年までデ・ラ・ウォー男爵の称号を使用した。

生涯

第6代デ・ラ・ウォー男爵ジョン・ウェスト英語版とマーガレット・フリーマン(ロンドンの商人ジョン・フリーマンの娘および相続人)の息子として生まれた[1]イートン・カレッジで教育を受けた後、ヨーロッパを旅し、1712年に帰国した[2]

1712年、枢密院特命書記官長英語版に任命された[1]1715年イギリス総選挙グラムパウンド選挙区英語版から出馬して当選、以降1722年まで庶民院議員を務めた。1715年に第1近衛騎馬隊英語版の少佐になり、1717年に中佐に昇進した[1]。1723年、父の死去に伴いデ・ラ・ウォー男爵を継承、貴族院に移籍した。1725年5月27日、バス勲章を授与される[3]とともにジョージ1世寝室侍従英語版に任命された[4]。1728年、王立協会フェローに選出された[1]

1731年6月12日、枢密顧問官に任命される[5]とともに王室会計長官英語版に任命され、1737年まで務めた[1]。1732年、大法官キング男爵の不在中に一時的に貴族院議長を務め、1736年のポーティアス暴動英語版の後はエディンバラ市への厳罰を支持した。同1736年、神聖ローマ帝国に派遣されオーガスタ・オブ・サクス=ゴータ(王太子フレデリック・ルイスの結婚相手)をイギリスに護送する任務を与えられた。ハーヴィー男爵はこの出来事について、「王太子の嫉妬をやわらげられるこれ以上の選択はない」「それほど洗練されていない使者はドイツにおけるいかなるゴート族ヴァンダル族の宮廷でも見つからない」と記述した[6]。デ・ラ・ウォー男爵とオーガスタは1736年4月にグリニッジで上陸した[1]

1736年から1766年まで、レヴァント会社英語版総裁を務めた[2][3]。1737年、ニュージャージー植民地総督ニューヨーク植民地総督英語版に任命されたが、米州にわたることはなく[7]貴族院で活動しながら軍務を続けた。オーストリア継承戦争中の1743年にはデッティンゲンの戦いに参戦した[1]。1737年8月30日、第1近衛騎馬隊英語版隊長になり[8]、以降死去まで務めた。1743年に准将に、1745年に少将に、1747年に中将に昇進、1765年にGeneral of the Horseに任命された[1]。1752年にガーンジー総督英語版に任命され、1766年に死去するまで務めた。1754年、大法官ハードウィック伯爵の不在中に一時的に貴族院議長を務めた[2]。1761年、国王ジョージ3世によりデ・ラ・ウォー伯爵およびカンテループ子爵に叙された[9]

1766年3月16日に72歳で死去、3月22日に聖マーガレット教会で埋葬された[2]。長男ジョン英語版が爵位を継承した[2]

家族

1721年5月25日、シャーロット・マッカーシー(1735年2月没、第4代クランカーティ伯爵ドノー・マッカーシー英語版とエリザベス・スペンサーの娘)と結婚、2男2女をもうけた[1]

  • ジョン英語版(1729年 – 1777年)
  • ダイアナ(1731年 – 1766年) - ジョン・クレイヴァーリング英語版と結婚[10]
  • ジョージ・オーガスタス(1776年没)
  • ヘンリエッタ(1817年没) - ジェームズ・ジョンストン英語版と結婚[11]

1744年6月15日[2]、アン・ウォーカー(1748年6月没、ネヘミア・ウォーカー(Nehemiah Walker)の娘)と再婚したが、2人の間に子供はいなかった。アンの死後は再婚しなかった。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i Norgate, Gerald Le Grys (1899). "West, John (1693-1766)" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (英語). 60. London: Smith, Elder & Co. pp. 332–333.
  2. ^ a b c d e f Clayton, M. E. "West, John, first Earl De La Warr". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/29087 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  3. ^ a b Cruickshanks, Eveline (1970). "WEST, Hon. John (1693-1766)". In Sedgwick, Romney (ed.). The House of Commons 1715-1754 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年5月14日閲覧
  4. ^ "No. 6378". The London Gazette (英語). 1 June 1725. p. 1.
  5. ^ "No. 6995". The London Gazette (英語). 12 June 1731. p. 1.
  6. ^ ハーヴィー男爵はデ・ラ・ウォー男爵を「長身でやせた、きまりの悪い人物」と酷評しており、記述の意味は「蛮族の宮廷でもみられないほどの容姿」という皮肉だった。
  7. ^ New Jersey Colonial Documents, Archives of the State of New Jersey, First Series, Vol. V; Daily Advertiser Publishing House, Newark, New Jersey, 1882. pp. 490-491.
  8. ^ The Army List, 1754. WO 65/1
  9. ^ "No. 10088". The London Gazette (英語). 17 March 1761. p. 3.
  10. ^ "Clavering, Sir John [James-John] (bap. 1722, d. 1777), army officer". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/5553 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  11. ^ "James Johnston" (英語). Westminster Abbey. 2019年5月14日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
アンドリュー・クイック
トマス・クック英語版
庶民院議員(グラムパウンド選挙区英語版選出)
1715年 – 1722年
同職:チャールズ・クック英語版 1715年 – 1721年
リチャード・ウェスト英語版 1721年 – 1722年
次代
ハーティントン侯爵
ハンフリー・モーリス英語版
公職
先代
ビングリー男爵
王室会計長官英語版
1731年 – 1737年
次代
フィッツウォルター伯爵
軍職
先代
モンタギュー公爵
第1近衛騎馬隊英語版隊長
1737年 – 1766年
次代
デ・ラ・ウォー伯爵英語版
先代
アダム・ウィリアムソン
グレイヴセンドおよびティルベリー総督英語版
1747年 – 1752年
次代
カドガン男爵英語版
先代
サー・ジョン・リゴニア英語版
ガーンジー総督英語版
1752年 – 1766年
次代
サー・リチャード・リトルトン英語版
グレートブリテンの爵位
爵位創設 デ・ラ・ウォー伯爵英語版
1761年 – 1766年
次代
ジョン・ウェスト英語版
イングランドの爵位
先代
ジョン・ウェスト英語版
デ・ラ・ウォー男爵
1723年 – 1766年
次代
ジョン・ウェスト英語版



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