ジャルート環礁と中島敦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:40 UTC 版)
「ジャルート環礁」の記事における「ジャルート環礁と中島敦」の解説
1941年(昭和16年)、公学校用の教科書編纂のためにパラオへ赴任していた作家の中島敦は、同年9月27日から9月30日まで出張でジャルート環礁に滞在している。ジャルートを大変気に入った中島敦は、 「(前略)僕は今迄の島でヤルートが一番好きだ。一番開けてないで、スティヴンスンの南洋に近いからだ。(中略)ヤルートは不便だ、とみんながコボスという。寂しいともいうそうだ。僕は、まるで反対だ」 — 『南洋通信』 と妻に宛てた手紙に記している。これに対し、ジャルートに長く駐在していた役人からは「南洋群島でヤルートが一番いい、と言ったのは、あんたが始めて(原文ママ)だ」と呆れられている。 その後、中島敦は環礁―ミクロネシヤ巡島記抄―という短編集のなかでジャルート環礁について取り上げ、ジャボール島の大酋長アマタ・カブアの家に招待された時の出来事などを書いている。アマタ・カブアは後にマーシャル諸島共和国初代大統領となった。
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