ジャック・シャルル・フランソワ・スツルムとは? わかりやすく解説

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ジャック・シャルル・フランソワ・スツルム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 08:56 UTC 版)

ジャック・シャルル・フランソワ・スツルム
Jacques Charles François Sturm
ジャン=ダニエル・コラドン英語版フランス語版によるスツルムの肖像
生誕 (1803-09-29) 1803年9月29日
ジュネーヴ
死没 1855年12月15日(1855-12-15)(52歳没)
パリ
国籍 フランス
研究分野 数学
研究機関 エコール・ポリテクニーク
主な業績 スツルム分離定理英語版
スツルム級数英語版
スツルムの定理
スツルム=リウヴィル型微分方程式
スツルム=ピコーンの比較定理
音速
主な受賞歴 レジオンドヌール勲章 (1837)
コプリ・メダル (1840)
プロジェクト:人物伝
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ジャック・シャルル・フランソワ・スツルム[注釈 1]: Jacques Charles François Sturm (1803-09-29) 1803年9月29日1855年12月15日(1855-12-15) )は、フランス数学者。方程式の理論においてスツルムの定理など重要な貢献を行った[1]

生い立ち

1803年、当時フランス領であったジュネーヴに生まれた。父ジャン=アンリ・スツルム(Jean-Henri Sturm)の家族は1760年代にストラスブールから移住してきた。母は Jeanne-Louise-Henriette Gremay[2]

1818年、ジュネーヴアカデミーの講師に師事した。父の死によって、スツルムは家族を支えるため、裕福な子供に授業をすることを強いられた。1823年、彼はアンヌ・ルイーズ・ド・スタールの息子の家庭教師になった。

1823年末、スツルムは教え子の家族に付いていき短期間パリに滞在した。学校の同僚のジャン=ダニエル・コラドン英語版 とともに、パリで運を試すことを決心し、 Bulletin universel で職を得た[3]

発見

1829年、スツルムは現在彼の名を冠する定理であるスツルムの定理を発見した[4]

功績

1830年の革命で、スツルムはプロテスタント信仰によって高等学校への就職を辞退する必要がなくなった。年末にはコレージュ・ローリン英語版の数学科の教授に任命された。

1836年、フランス科学アカデミー会員に選ばれ、アンペールの空けた席を埋めた。エコール・ポリテクニークにて1838年に répétiteur 、1840年に教授になった。同年のポアソンの死に伴い、Faculté des sciences de Parisフランス語版力学教授に指名された。スツルムの作品 Cours d'analyse de l'école polytechnique (1857–1863) と Cours de mécanique de l'école polytechnique (1861) はスツルムの没後にパリで出版された。

リウヴィルとスツルムはスツルム=リウヴィル型微分方程式に名を残している。

1826年、同僚のコラドンとともに、水中における音速を最初に実験的に決定する手助けを行った[2]

死没

1851年、心臓に異常をきたすようになった。長い闘病期間でも教職に復帰することができたが、1855年に没した[2]

小惑星31043 Sturmはスツルムの名に因む[5]。スツルムはエッフェル塔に刻まれた72人のフランスの科学者の一人である。

受賞

主な著作

Cours de mécanique de l'École polytechnique, 1871

脚注

注釈

  1. ^ スツルム(Strum)は、シュツルムシュトゥルムストゥルムステュルムスチュルムのような表記揺れがある。

出典

  1. ^ Charles-François Sturm | Number Theory, Geometry & Analysis | Britannica” (英語). www.britannica.com. 2023年8月2日閲覧。
  2. ^ a b c O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Jacques Charles François Sturm”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews, https://mathshistory.st-andrews.ac.uk/Biographies/Sturm/ .
  3. ^  この記述にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Sturm, Jacques Charles François". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 25 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 1023.
  4. ^ * Sturm, Ch. (1829). “Analyse d'un mémoire sur la résolution des équations numériques [Analysis of a memoir on the solution of equations with numerical coefficients]” (フランス語). Bulletin Universel: 1er Section: Bulletin des Sciences Mathématiques, Physiques et Chimiques 11: 419–422. https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.$b528441;view=1up;seq=423. 
  5. ^ Schmadel, Lutz D.; International Astronomical Union (2003). Dictionary of minor planet names. Berlin; New York: Springer-Verlag. p. 889. ISBN 978-3-540-00238-3. https://books.google.com/books?id=KWrB1jPCa8AC&pg=PA889 9 September 2011閲覧。 

関連項目

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