ジャカルタでの中村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 15:44 UTC 版)
「中村輝夫 (軍人)」の記事における「ジャカルタでの中村」の解説
翌12月29日、中村は空軍のC-130輸送機でジャカルタに移送され、市内の病院に検査入院した。この日の夕方には記者会見が行われ、福建語を話すインドネシア人が通訳として同席した。中村は福建語も理解できたが、「日本語でしゃべる方が楽だ」と言い、後の質問は全て日本語で答えた。中村はこの病院で30年ぶりに風邪を引いたものの、健康状態は良好で、病院で出された日の丸弁当もおいしそうに食べた。 この間、中村の扱いをめぐって日台間で水面下のやり取りが行われたが、故郷に帰りたいという中村の希望から、中村は中華民国政府発行の帰国証明書を受け取り、1975年(民国64年)1月8日午前8時20分、中華航空機でハリム・ペルダナクスマ国際空港を離れた。
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