シャハブッディン・アーメドとは? わかりやすく解説

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シャハブッディン・アーメド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/06 07:16 UTC 版)

シャハブッディン・アーメド
শাহাবুদ্দিন আহমেদ
第11代バングラデシュ大統領
任期
1990年12月6日 – 1991年10月10日
(大統領代行)
首相 カレダ・ジア
前任者 フセイン・モハンマド・エルシャド
後任者 アブドゥル・ラフマン・ビスワスベンガル語版英語版
任期
1996年10月9日 – 2001年11月14日
首相 ハシナ・ワゼド
ラティフル・ラフマンベンガル語版英語版(首相代行)
カレダ・ジア
前任者 アブドゥル・ラフマン・ビスワスベンガル語版英語版
後任者 A・Q・M・バドルッドジャ・チョードゥリーベンガル語版英語版
バングラデシュ最高裁長官ベンガル語版英語版
任期
1990年1月14日 – 1995年1月1日
前任者 バドルル・ハイダル・チョードリーベンガル語版英語版
後任者 ムハンマド・ハビブル・ラフマンベンガル語版英語版
個人情報
生誕 (1930-02-01) 1930年2月1日
イギリス領インド帝国ネトロコナ県ベンガル語版英語版ケンドゥア郡ベンガル語版英語版パマル村
死没 (2022-03-19) 2022年3月19日(92歳没)
バングラデシュダッカ
教育 修士国際関係学
出身校 ダッカ大学

シャハブッディン・アーメドベンガル語: শাহাবুদ্দিন আহমেদ英語: Shahabuddin Ahmed1930年2月1日 - 2022年3月19日)は、バングラデシュの政治家。同国大統領1996年から2001年まで務めたほか、1990年から1995年にかけてはバングラデシュの最高裁長官ベンガル語版英語版[1]、民衆蜂起に伴いフセイン・モハンマド・エルシャド大統領が辞任した際には大統領代行を務め、暫定政権のもと1991年2月の総選挙を執行し混乱を収拾した[1]

来歴

アーメドは1930年2月1日にネトロコナ県ベンガル語版英語版ケンドゥア郡ベンガル語版英語版パマル村で生まれた。父タールクダール・レサット・アーメド・ブイヤンは篤志家であった。入学試験と中間試験に合格した結果1948年ダッカ大学へ入学し、ファズルル・フク・ムスリム・ホールベンガル語版英語版寮生として1951年経済学学士を、1952年国際関係学修士を取得した。その後、彼はオックスフォード大学行政学特別課程を受講した[2][1]

1990年1月14日に最高裁長官に就任。ところがフセイン・モハンマド・エルシャド大統領に対して巻き起こっていた民衆蜂起英語版によって12月6日にムドゥード・アフメド英語版副大統領が辞任し、アーメドが副大統領代行となる。その日のうちにエルシャド大統領も辞任したためアーメドが大統領代行となった。中立的な非政治家による暫定政権のもと、アーメドは1991年2月27日の総選挙英語版を執行し、政情の混乱を沈静化させたほか、報道の自由などを復活させた。1991年10月10日にアブドゥル・ラフマン・ビスワス英語版が後継の大統領に就任したためアーメドは最高裁長官の職務を再開し、1995年2月1日に退任した[1]

アーメドは1996年7月23日にアワミ連盟政府の推薦を受けて無投票で大統領に選出され、同年10月9日に就任した[1]。2001年11月14日に退任した[1]。2001年にアワミ連盟が議会選挙で敗北したとき、彼はシェイク・ハシナ首相から「裏切り者」と呼ばれた。アーメドは「党員たちの思い通りに事が運んでいる限り私は天使だが、そうでなければ私は悪魔なのだ」と嘆いた[3]

2022年3月19日午前11時5分、首都ダッカにある軍合同病院にて92歳で死去[4]

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