ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガーとは? わかりやすく解説

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ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 23:04 UTC 版)

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ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー
Sabine Leutheusser-Schnarrenberger
ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(2013年9月)
生年月日 (1951-07-26) 1951年7月26日(70歳)
出生地 西ドイツノルトライン=ヴェストファーレン州ミンデン
出身校 ゲッティンゲン大学
ビーレフェルト大学
前職 弁護士
所属政党 自由民主党
サイン
公式サイト Engagement für Menschen- und Bürgerrechte.

在任期間 1992年5月18日 - 1996年1月17日
首相 ヘルムート・コール

内閣 第2次メルケル内閣
在任期間 2009年10月28日 - 2013年12月17日
首相 アンゲラ・メルケル

在任期間 1990年 - 2013年
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ザビーネ・ロイトホイサー=シュナレンベルガー(Sabine Leutheusser-Schnarrenberger, IPA: [zaˈbiːnə ˈlɔʏthɔʏsɐ ˈʃnaʀənˌbɛɐ̯ɡɐ], 1951年7月26日 - )は、ドイツの政治家。自由民主党 (FDP) 所属。党内では小規模な社会自由主義派の領袖である。1992年から1996年のヘルムート・コール内閣と、2009年から2013年の第2次メルケル内閣連邦司法相を務めた。愛称は「シュナリ」や「SLS」。

経歴

ノルトライン=ヴェストファーレン州ミンデンで生まれる。1970年にミンデンのギムナジウムを卒業後、ゲッティンゲン大学とビーレフェルト大学で法学を修めた。1975年にハムで第一次国家試験に、1978年にデュッセルドルフで第二次国家試験に合格。同年に FDP へ入党。

1979年から1990年まで、ミュンヘンのドイツ特許庁に勤務。最終的には専務理事にまで上りつめた。1990年12月12日にドイツ連邦議会議員となり、1991年に FDP の連邦評議会議員に就任。1992年5月18日に連邦司法相に抜擢された。1995年、ドイツでは盗聴が私的領域の侵害に当てはまるか否かをめぐって、世論をも巻き込む一大問題となった。このなかでシュナレンベルガーは、市民の私的領域に干渉する国家権力の拡大に対して、強硬なまでに異を唱えた。FDPがこの問題で、キリスト教民主同盟 (CDU) 率いる保守勢力を支持することを党員投票によって決めると、彼女は1996年1月1日に大臣を辞任した[1]。1997年から議員活動のかたわら、ミュンヘンで弁護士を開業した。

2009年から2013年まで、シュナレンベルガーは第2次メルケル内閣で再び連邦司法相を務めた。同内閣にはFDPから5名が入閣したが[2]、そのうち女性はシュナレンベルガーのみであった[3]。在職中はFDPのリベラル路線を推進したが、しばしばトーマス・デメジエールやハンス=ペーター・フリードリヒといった保守派の内相から抵抗を受けた[4]

2013年にはドイツ政府から欧州評議会の次期事務総長に推され[5][6]、彼女自身それ以降20か国以上を訪れたが、2014年6月24日に行われた第1回投票で落選した[7]

2013年ドイツ連邦議会選挙でFDPは得票率が5%に達せず全議席を喪失したため、シュナレンベルガーも議席を失い、司法相を退任した。連邦司法相退任後も、シュナレンベルガーはしばしばドイツメディアで人権やデータ保護に関する論評を発信している。2014年には、グーグルから忘れられる権利に関する諮問評議会の委員に任命された[8]

人物

夫のホルスト・ロイトホイサーは CDU 所属の弁護士で、ミンデンの副市長を務めたが、2006年に死去した。叔父のヴォルフガング・シュタムベルガーも、西ドイツの司法相(1961年 - 1962年)であった。

脚注

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