サラゴサのヴィセンテとは? わかりやすく解説

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サラゴサのヴィセンテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/11 23:01 UTC 版)

サラゴサのヴィセンテ
(イスパニアの聖ビケンティ)
サラゴサの聖ヴィセンテ像、氏名不詳の画家による16世紀の絵画
生誕 3世紀
ローマ帝国
ヒスパニア
ウエスカ
死没 304年
ローマ帝国
バレンシア
崇敬する教派 カトリック教会
正教会
アングリカン・コミュニオン
記念日 1月22日(カトリック教会
11月11日正教会
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サラゴサのヴィセンテポルトガル語:Vicente de Saragoçaスペイン語:Vicente de Zaragozaカタルーニャ語: Vicent de Saragossa304年没)は、カトリック教会聖公会正教会聖人殉教者致命者)。スペイン語ではサラゴサのビセンテ。別名ウエスカのヴィセンテ。日本聖公会では殉教者執事ビンセント、日本正教会ではイスパニアの聖ビケンティと表記される[1]

生涯

ウエスカで生まれてサラゴサで生き、304年にディオクレティアヌス帝時代のキリスト教徒迫害で殉教した。祝日はカトリック、聖公会では1月22日、正教会では11月11日ユリウス暦使用教会では11月24日に該当)。ワイン醸造者、酢醸造者の守護聖人。

彼の墓はバレンシアにあったことから、ヴィセンテ信仰の中心地となった。また、オビエドピレネー山脈を越えたナルボンヌなど、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう巡礼路で信仰が盛んとなった。西ゴート王国の王レカレド1世は、聖ヴィセンテに捧げた聖堂をコルドバに建てた。この聖堂は711年にムーア人に占領された後、徹底的に破壊された上、調度品はメスキータへ持って行かれた。

12世紀頃、リスボン大聖堂にヴィセンテの聖遺物がもたらされてから、リスボンの守護聖人となっている。

脚注

  1. ^ 日本ハリストス正教会『正教会暦』2008年版

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