ゲオルギーゼルマとは? わかりやすく解説

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ゲオルギー・ゼルマ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 03:06 UTC 版)

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ゲオルギー・アナトレヴィチ・ゼルマ
Георгий Анатольевич Зельма
生誕 ゲオルギー・アナトレヴィチ・ゼルマノヴィチ
Георгий Анатольевич Зельманович

1906
タシュケント ロシア帝国
死没 1984年(77 - 78歳)
モスクワ[1] ソビエト連邦
職業 フォトジャーナリスト写真家、写真通信員

ゲオルギー・アナトレヴィチ・ゼルマ(Георгий Анатольевич Зельма [2])(出生時の姓はゼルマノヴィチЗельманович)

ソビエト連邦写真家、写真通信員。1920-30年代イズベスチヤ(新聞)、アガニョーク(イラスト週刊誌)、 クラスナヤ・ズヴェズダ(国防省新聞)その他の写真通信員。大祖国戦争の諸戦場での戦場カメラマン。60年以上に渡って写真を撮り続けた。

伝記

1906年にタシュケントでアナトリー・ゼルマノヴィチ(Анатолий Зельманович)と(その妻)エスフィリ(Есфирь)のもとに生まれた。1921年にモスクワに出て、古ぼけたコダック9×12[3]カメラで写真を撮り始めた。 「プロレトキーノ(Пролеткино)」 スタジオで、写真撮影の最初の経験を積んだ。それは演劇雑誌「テアトル(Театр)」用の演劇リハーサルを撮るものだった。 通信社ルスフォート(Руссфото)で働き続けた。そこでは写真家見習いだったが、直ぐに一人前になった。

1924年から1927年にゼルマは故郷ウズベキスタンアフガニスタンイラン中央アジアの通信社でフォトジャーナリストとして働いた。ゼルマは(自身の写した写真を)『プラヴダ・ヴォストーカ』紙で発表した。1927年ゼルマは赤軍に入隊し、モスクワで勤務した。1929年復員後、短期間タシュケントに帰った。モスクワに戻ってきた後、ゼルマはライカカメラで撮った写真を雑誌ソヴエツコエ・フォートロシア語版に発表した。

1930年代を通じてドンバス地方の鉱山・工場、トゥーラ州コルホーズ黒海沿岸の赤軍の演習などを取材に出かけた。彼は雑誌「ソ連邦建設」に発表した『Советский Союз из неба [4]、『10 лет Якутской Советской Социалистической Республики [5]などの作品でロマン・カルメンと共作した。 ゼルマはまたマクス・アルペルトロシア語版アレクサンドル・ロトチェンコとも共作した。

大祖国戦争の間、三等主計兼イズベスチヤ紙の通信員としてモルドバオデッサウクライナの前線で働いた。最も有名な写真はスターリングラード攻防戦の期間に撮られた。そこで彼は1942年から1943年の冬期に闘い、その街の戦闘を記録した。彼はソビエト共産党員だった。 戦後、ゼルマは雑誌オゴニョークで、1962年以降ノーボスチ通信社で働いた。ゼルマは1984年亡くなった。

息子は映画監督のチムル・ゼルマロシア語版

栄典

作品

下記リンク参照。

書誌

ウィキペディア露語版および独語版を参照。

外部リンク

ウィキペディア露語版および独語版を参照。

脚注

  1. ^ 出典:dhm.deサイトのバイオグラフィー(ドイツ語)による
  2. ^ ラテン翻字の一例 Georgii Anatolevich Zelma
  3. ^ いわゆる「大手札版」で9×12cmのシート・フィルムまたは乾板を使用する
  4. ^ 和訳『天から舞い降りたソビエト連邦』
  5. ^ 和訳『ヤクート・ソビエト社会主義共和国の10年間』



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