グスタフアマン_(技術者著述者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > グスタフアマン_(技術者著述者)の意味・解説 

グスタフ・アマン (技術者・著述者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/19 01:33 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

グスタフ・アマン(Gustav Amann、1882年? - 1950年)は、シーメンスの中国駐在社員として20世紀初頭中国に滞在した人物で1882年生まれとされるドイツ人エンジニアである。孫文や当時の中国の状況を記録した多くの著書で知られる。 『The Legacy of Sun Yatsen: A History of the Chinese Revolution』 をはじめ著書の多くは高山洋吉によって和訳書が刊行されている。

シーメンスAGに勤務、1911年から1919年まで中国漢口、その後北京上海広東でシーメンス社支局の支局長を務める。ジョン・ラーベとは同僚。 上海支社長の際、孫文へドイツ軍将校を顧問団の雇用を仲介。 1924年にも広東駐在のアマンを頼って、ドイツから軍事顧問団を招こうとしたが実現せず。 ドイツと中国の間の仲介の一環を担う。 なお、当時の蒋介石政権は、重工業政策を展開するべくドイツからの巨額の借款によって1936年から三か年計画を策定。シーメンス社は政権からプラント関連事業を受注している。 1950年に亡くなっている。

『The Legacy of Sun Yatsen: A History of the Chinese Revolution』 は1928年にベルリンドイツ語で出版され、その後英語で1929年に、北米で出版された。 著書には以下のものがある。

  • 現代支那史 第1-5 育生社、 1939-1940 高山洋吉
    • 現代支那史〈第1-5,別巻〉
    • 第1巻,三民主義ー孫文遺嘱(1939年)
    • 第2巻,五・丗-北伐時代(1940年)
    • 第3巻,蒋介石と国民党政府(1940年)
    • 第4巻,世界変局に立つ支那(1940年)
    • 第5巻,支那農民戦争(1940年)
  • Chiang Kaishek und die regierung der Kuomintang in China

(Geschichte Chinas in neuester Zeit, Bd. 2、K. Vowinckel, 1939, c1936

  • Bauernkrieg in China : Chiang Kaisheks Kampf gegen den Aufstand, 1932-1935 Kurt Vowinckel, 1939

参考




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「グスタフアマン_(技術者著述者)」の関連用語

グスタフアマン_(技術者著述者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



グスタフアマン_(技術者著述者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのグスタフ・アマン (技術者・著述者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS