クリストファー・カンバーランドとは? わかりやすく解説

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クリストファー・カンバーランド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 20:51 UTC 版)

クリストファー・カンバーランド
Christopher Cumberland
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州クリアウォーター
生年月日 (1973-01-15) 1973年1月15日(50歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
189 lb =約85.7 kg
選手情報
投球・打席 左投右打
ポジション 投手
プロ入り 1992年 MLBドラフト48巡目
初出場 NPB / 2000年4月2日
最終出場 NPB / 2000年4月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

クリストファー・マーク・カンバーランドChristopher Mark Cumberland1973年1月15日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州出身の元プロ野球選手投手)。アメリカ時代の登録名はChris Cumberland

来歴

カントリー高からパスコエルナンド短大を経て、1992年MLBドラフト48巡目でヤンキースに入団。

技巧派サウスポーとして期待され、1994年には 1Aでチーム最多の14勝と活躍するも球威の無さから その後は伸び悩み、ツインズレッドソックスのマイナーチームを転々とするも、メジャーには昇格できなかった。

2000年、マイナー時代のチームメイトであるサルバトーレ・ウルソーと共に広島東洋カープに入団。左の先発候補として期待され、開幕ローテーション入りすると3戦目に先発に抜擢。しかし打者5人に対して3失点を許し、1/3イニングでKO、即二軍降格となる。その後はセットポジションで制止できないという弱点も見付かり、二軍で1試合4ボークの不名誉な最多タイ記録も作ってしまった。この惨状から早々に見切られてしまい、同時に入団したジェフ・ボールと共に5月7日に自由契約となる。僅か開幕1か月でのスピード解雇であった。

その後は2004年までマイナーリーグ独立リーグでプレーし、現役引退。

エピソード

  • 広島監督の達川光男(当時:晃豊)や広島ファンは彼の苗字をもじって「カンバーランドががんばーらんと困る」という駄洒落のネタにしていた。
  • 父はMLB通算15勝の投手で引退後もコーチとして活躍した、ジョン・カンバーランド。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 広島 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 5 0.1 3 0 1 0 0 0 0 0 3 3 81.00 12.00
通算:1年 1 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 5 0.1 3 0 1 0 0 0 0 0 3 3 81.00 12.00

記録

NPB

背番号

  • 42 (2000年)

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