クニグンデ・フォン・エスターライヒ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 01:47 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動クニグンデ・フォン・エスターライヒ Kunigunde von Österreich | |
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出生 |
1465年3月16日![]() ![]() |
死去 |
1520年8月6日(55歳没)![]() ![]() |
埋葬 |
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配偶者 | バイエルン公アルブレヒト4世 |
子女 | 一覧参照 |
父親 | 神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世 |
母親 | エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル |
クニグンデ・フォン・エスターライヒ(Kunigunde von Österreich, 1465年3月16日 - 1520年8月6日)は、バイエルン公アルブレヒト4世の妃。
生涯
神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世と皇后エレオノーレの娘として、ウィーナー・ノイシュタットで生まれた[1]。夫婦の間の5人の子供のうち成人したのは、兄マクシミリアン1世とクニグンデだけであった。
1470年、ハンガリー王マーチャーシュに求婚されたが、フリードリヒ3世はこれを拒絶した[2]。1487年1月2日、クニグンデは父の意に反してバイエルン公アルブレヒト4世と結婚した[3]。夫の死後、長男ヴィルヘルム4世の摂政となった。宮廷から辞した後も、息子達のために政治に介入しようとした。また、兄マクシミリアン1世や、他国にいる縁者と密接に連絡をとっていた[4]。
アルブレヒト4世が死んだ1508年、クニグンデはピュートリヒ修道院に入り、修道女となった[5]。
子女
- ジドーニエ(1488年 - 1505年)
- ジビュレ(1489年 - 1519年) - プファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世妃
- ザビーナ(1492年 - 1564年) - ヴュルテンベルク公ウルリヒ妃
- ヴィルヘルム4世(1493年 - 1550年) - バイエルン公
- ルートヴィヒ(1495年 - 1545年) - バイエルン公
- ズザンナ(1499年 - 1500年)
- エルンスト(1500年 - 1560年) - ザルツブルク大司教
- ズザンナ(1502年 - 1543年) - ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯カジミールの妃。後にプファルツ選帝侯オットー・ハインリヒと再婚。
脚注
参考文献
- テア・ライトナー 『ハプスブルクの女たち』 新書館、1996年
固有名詞の分類
バイエルンの后妃 |
ベアトリチェ・シフィドニツカ マリア・アンナ・ゾフィア・フォン・ザクセン クニグンデ・フォン・エスターライヒ エリーザベト・アウグステ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ ゲルトルート・フォン・ザクセン |
ハプスブルク家 |
エリーザベト・フォン・ハプスブルク オーストリア大公 クニグンデ・フォン・エスターライヒ 金羊毛騎士団 マリア・フォン・エスターライヒ |
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