クッラ・ブン・シャリーク・アル=アブスィーとは? わかりやすく解説

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クッラ・ブン・シャリーク・アル=アブスィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/26 04:40 UTC 版)

クッラ・ブン・シャリーク・アル=アブスィー
ジュンド・キンナスリーン英語版総督
君主 アブドゥルマリク
前任者 アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバまたはマスラマ・ブン・アブドゥルマリク英語版
後任者 マルサド・ブン・シャリーク
エジプト総督
任期
709年 – 714年
君主 ワリード1世
前任者 アブドゥッラー・ブン・アブドゥルマリク
後任者 アブドゥルマリク・ブン・リファーア・アル=ファフミー英語版
個人情報
死没 714年
シャリーク・ブン・マルサド
親族 マルサド・ブン・シャリーク(兄弟)

クッラ・ブン・シャリーク・ブン・マルサド・ブン・ハーズィム・アル=アブスィー・アル=ガタファーニーアラビア語: قرة بن شريك بن مرثد بن حازم العبسي الغطفاني, ラテン文字転写: Qurra b. S̲h̲arīk b. Mart̲h̲ad b. Ḥāzim al-ʿAbsī al-G̲h̲aṭafānī, 714年没)は、ウマイヤ朝時代の政治家であり、カリフアブドゥルマリク(在位:685年 - 705年)とワリード1世(在位:705年 - 715年)の治世にかけてジュンド・キンナスリーン英語版エジプトの総督を歴任したことで知られる人物である。

経歴

クッラの初期の経歴についてはよく分かっていない[1]。クッラの父はアブス族英語版の支流にあたるビガド族に属していたシャリーク・ブン・マルサド・ブン・ハーズィム・ブン・アル=ハーリス・ブン・フバイシュである[2]。クッラの一族はアブス族のシャリーフ(部族内の有力者)であり、そのアブス族は630年代のイスラーム教徒による征服活動英語版以来、シリア北部とメソポタミア北部(ジャズィーラ)に居住していたより上位の大規模な部族連合であるカイス族英語版に属していた[1]。12世紀の年代記作家であるシリア人ミカエル英語版の説明によれば、クッラはカリフのアブドゥルマリクの治世末期に出身地の軍事区であるシリア北部のジュンド・キンナスリーン、またはアルミーニヤ英語版アルメニア)の総督を務めた[3]。その後はカリフのワリード1世の書記官(カーティブ)となったが[3]、クッラの行政経験とワリード1世の母と同じ部族の出身であったことがワリード1世の治世中のキャリアを後押ししたとみられている[1]。また、クッラの兄弟のマルサド・ブン・シャリークがクッラの後任としてジュンド・キンナスリーンの総督となった[4]

709年にワリード1世は飢饉の最中における汚職によって非難を浴びた自身の兄弟のアブドゥッラーに代えてクッラをエジプトの総督に任命した[5]。クッラの統治は効果的なものであり、10世紀の年代記作家のムハンマド・ブン・ユースフ・アル=キンディー英語版は、クッラが「ディーワーン(軍務の対価となる俸給(アター)を受け取る資格のある者の名前を記載した軍の登録簿)を再整備し、フスタートモスクを再建し、砂漠における灌漑工事を開始した」と伝えている。現代の歴史家であるヒュー・ナイジェル・ケネディ英語版は、「ある点においてはクッラはウマイヤ朝のエジプト総督の中で最もよく知られた人物である」と説明しており、その理由として、「パピルスの行政文書が最も豊富に保存されているのがクッラの在任期間中のものだから」であると述べている[6]。クッラがアフロディト英語版パガルコス英語版(地方官職の1つ)だった人物に送った書簡は、当時のエジプトの司法行政を理解する上で特に有用なものとなっている[7]。クッラは在任中の714年に疫病によって死去した[1]

脚注

出典

  1. ^ a b c d Bosworth 2012.
  2. ^ Caskel 1966, pp. 226, 307, 400, 515, 528.
  3. ^ a b Crone 1980, p. 125.
  4. ^ Crone 1980, p. 126.
  5. ^ Kennedy 1998, p. 72.
  6. ^ Kennedy 1998, pp. 72–73.
  7. ^ Tillier 2019.

参考文献

先代
アバーン・ブン・アル=ワリード・ブン・ウクバまたはマスラマ・ブン・アブドゥルマリク英語版
ジュンド・キンナスリーン英語版総督
任期不明
次代
マルサド・ブン・シャリーク
先代
アブドゥッラー・ブン・アブドゥルマリク
エジプト総督
709年 - 714年
次代
アブドゥルマリク・ブン・リファーア・アル=ファフミー英語版



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