ギャップの実態
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:02 UTC 版)
「ミサイル・ギャップ論争」の記事における「ギャップの実態」の解説
ミサイル・ギャップの実態としてはアメリカがソ連に対して劣勢であったのではなく、逆にソ連が遥かに劣勢であったのである。ミサイル・ギャップ論争を終わらせた後の翌1962年にアメリカ国防総省が情勢評価した際に、認識していたソ連のICBMが30基であるのに対して、アメリカは220基が実戦配備していたのである。この論争は東西冷戦の中でソ連に対する力の優位を確保し、核戦力及び通常戦力の拡張を急ぎたいタカ派の行動によるものと思われている。 ミサイル・ギャップは、皮肉な事態をもたらした。ソ連のニキータ・フルシチョフ首相が、ソ連を包囲する西側の核戦力に対して東側が脆弱なために、1959年に起こったキューバ革命でフィデル・カストロ政権のキューバを支援し、やがて1962年の夏、キューバに核ミサイルを運び基地を運用する『キューバ危機』にまで至った。この時のフルシチョフの目的は、キューバを防衛するとともに、アメリカ合衆国本土の近くに核戦力を配備をすることで東西のミサイル・ギャップを挽回することでもあった。
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