キリスト教における瞬間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 09:16 UTC 版)
キリスト教において瞬間とは神との出会いに信仰によって応答する時点の事である。キルケゴールはプラトンの学説を元に永遠と時間の触れ合いによって生じる二義的な物として捉え、人間は神の前に立つ時単独者として罪の意識に苦しむこととなり、永遠の聖なる世界から降りて来る福音を受容する時こそが真の瞬間であるとした。また、瞬間が訪れるのは人が非存在から存在へと移行する境界であるとも考えた。なお、ブルトマンもこの考え方を用いている。
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