クズルバシュ
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クズルバシュ(ペルシア語:قزلباش、トルコ語:Kızılbaş、キジルバーシュ、クズルバシ、キジルバシとも)は、サファヴィー教団(イランに存在した、サファヴィー朝の前身となるイスラームの宗教団体)の信徒、および信徒の多数を占めるアナトリア高原に居住するトルコ系遊牧民である。現在のイランとその周辺に現存する、彼らの子孫とされる民族集団もこの名前で呼ばれる。オスマン帝国、シャイバーニー朝ではサファヴィー朝の領土を「クズルバシュの国」、サファヴィー朝のシャー(王)を「クズルバシュの王」と呼んでいた[1]。
- ^ 羽田「クズルバシュ」『新イスラム事典』、207-208頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、196頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、197頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、199頁
- ^ a b c 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、301頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、243-244頁
- ^ 羽田正「三つのイスラーム国家」『イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』、38頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、203頁
- ^ a b c 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、205頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、205-206頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、206頁
- ^ 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、321頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、207頁
- ^ a b 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、208頁
- ^ a b 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、210頁
- ^ a b 永田、羽田『成熟のイスラーム社会』、301-302頁
- ^ 羽田「東方イスラーム世界の形成と変容」『西アジア史 2 イラン・トルコ』、198-199頁
- ^ 桜井啓子『シーア派 台頭するイスラーム少数派』(中公新書, 中央公論新社, 2006年10月)、67頁
- 1 クズルバシュとは
- 2 クズルバシュの概要
- 3 民族としてのクズルバシュ
- 4 参考文献
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