キオスのヒポクラテス
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キオスのヒポクラテス(ギリシャ語: Ἱπποκράτης ὁ Χῖος、英: Hippocrates of Chios、およそ紀元前470年 - およそ紀元前410年)は古代ギリシアの数学者、幾何学者、天文学者。
ヒオス島に生まれ、商人をしていた。海賊か詐欺税関職員に強盗されるなどのいくつかの災難にあった後、訴訟のためにアテネに行き、そこで一流数学者になった。
キオスにて、ヒポクラテスは数学者兼天文学者のエピノデスの弟子となったと推測される。ヒポクラテスの数学の功績は、キオス島の隣のサモス島に本拠地を置いていたピタゴラス教団の影響を大いに受けた。"para-Pythagorean"(準ピタゴラス派)、哲学的"fellow traveler"(同行者)と評されている。帰謬法や背理法のような"Reduction"の論証と直線の長さの2乗を表す"power"(冪乗)と言う言葉の使用は、彼まで遡る[1]。
数学
ヒポクラテスの最も主要な功績に、Elements(Στοιχεῖα, Stoicheia)と呼ばれる、基本的な定理をまとめた最初の幾何学の教科書がある(エウクレイデスの書いた『原論』の前身)[2]。それ以来、古代の世界中の数学者が、原理的には共通の概念、方法、定理の枠組みを構築し、数学の科学的な進歩を刺激することになった。
ヒポクラテスの Elements は、現在ではたったひとつの有名な断片が存在するのみで、これはキリキアのシンプリキオスの作品に埋め込まれている。この断片には、現在ヒポクラテスの三日月と呼ばれる図形の面積の計算が書かれている。これは、円積問題の研究プログラムの一つだった。ヒポクラテスは円積問題を解決するには至らなかったが、初めて直線からなる図形と曲線から成る図形の面積の等価性を証明した者となった。 円積問題は1882年にフェルディナント・フォン・リンデマンの
- Ivor Bulmer-Thomas, 'Hippocrates of Chios', in: Dictionary of Scientific Biography, Charles Coulston Gillispie, ed. (18 Volumes, New York 1970–1990) pp. 410–418.
- [Axel Anthon] Björnbo, 'Hippokrates', in: Paulys Realencyclopädie der Classischen Altertumswissenschaft, G. Wissowa, ed. (51 Volumes; 1894–1980) Vol. 8 (1913) col. 1780–1801.
- 証明の発明と発展、ギリシャ数学の創始・発展とその遺産 斎藤憲
外部リンク
- O'Connor, John J.; Robertson, Edmund F., “Hippocrates of Chios”, MacTutor History of Mathematics archive, University of St Andrews.
- The Quadrature of the Circle and Hippocrates' Lunes at Convergence
- Mesolabe Compass and Square Roots - Numberphile video explaining Hippocrates' mesolabe compass
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