ガマからの脱出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:59 UTC 版)
シムクガマでは、4月1日午前5時30分、砲撃が開始されると、警防団に集合命令がかかり、ガマの入り口付近で見張りをしていた。午前10時頃にアメリカ兵はシムクガマに到達し、投降を呼びかけるが、チビチリガマ同様、ガマを出る者はいなかった。自決するべきという意志が村民の間で広まっていき、子どもの警防団員らが、竹槍を持ってアメリカ兵へ突撃しようと動き出したとき、ハワイからの帰国者、比嘉平治(当時72歳)と比嘉平三(当時63歳)が少年たちを止め、アメリカ兵と対話したところ、手向かいしない限り殺さないのでガマを出るように伝えられたため、村民たちを説得した。その結果、シムクガマからは1000名あまりの村民が自決することなく脱出した。
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