カルロ・エマヌエーレ3世の計画
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「マドンナ・デル・オルモの戦い」の記事における「カルロ・エマヌエーレ3世の計画」の解説
カルロ・エマヌエーレ3世は数的に劣勢である以上、クーネオを救うには大胆な計画が必要であると考えた。彼は自軍の目的を5つ考えた: フランス=スペイン連合軍との会戦。 クーネオへ補給を送り、負傷者を運び出す。 クーネオの周りにある連合軍の前哨地を攻撃する。 ロイトゥルムは突撃部隊を率いてゲッソ川(フランス語版)東岸にある攻城堡塁を破壊する。 民兵隊はストゥーラ川付近の連合軍との連絡線を破壊する。 この計画の利点は、1つ目の目的によりコンティ公とラ・ミナ侯がサルデーニャ本軍に気を取られ、ほかの4つの目的に気づかない限り、カルロ・エマヌエーレ3世は会戦に勝つ必要性がないことにあった。これら4目的が達成されれば、冬が近づいたこともあり、フランスとスペイン軍はやがてフランスへの撤収を余儀なくされる。カルロ・エマヌエーレ3世は時間を稼ごうとしたのだった。
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