カウディウムまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/06 19:58 UTC 版)
「カウディウムの戦い」の記事における「カウディウムまで」の解説
紀元前321年、ローマ執政官のティトゥス・ウェトゥリウス・カルウィヌスとスプリウス・ポストゥミウス・アルビヌスは軍を率いてカラティア(カプアの南東10キロのアンパニア人の町)に駐屯していた。サムニウム軍の司令官ガイウス・ポンティウスはカラティアの山向こうのカウディウムに宿営していたが、ローマ軍がカラティアにいることを知ると兵10人を羊飼いに変装させて放ち、サムニウム軍がアプリア(プッリャ州)にあるローマの同盟市ルケリア(ルチェーラ)攻撃に向かっているという偽の情報を流させた。虚報を信じたカルウィヌスとアルビヌスはルケリア救援を決め、現地に急行するために海沿いの道ではなくアペニン山脈中のカウディウムの峡谷を通る道を選んだ。
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