オリエント社会の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)
紀元前7世紀末にメソポタミアに起こった新バビロニア王国では、紀元前6世紀にネブカドネザル2世が現れて、ユダ王国を滅ぼし、シリアからパレスティナの地にかけての「肥沃な三日月地帯」(Fertile Crescent) を支配し、オリエント4王国 では最も強勢をほこった。しかし、紀元前550年にイラン高原に起こったアケメネス朝は、小アジアのリディア王国、メソポタミアの新バビロニア王国を滅ぼし、紀元前525年、カンビュセス2世がエジプトを併合して古代オリエント世界をはじめて統一、史上初の世界帝国 を形成し、「すべての道はペルセポリスに通じる」と表現された。ゾロアスター教はこれによりオリエント各地にその影響を広げてゆくこととなる。いっぽう、パレスティナもその支配下に入ることとなった。
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