オテル・デ・ミル・コリンとは? わかりやすく解説

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オテル‐デ‐ミルコリン【Hôtel des mille collines】

読み方:おてるでみるこりん

ルワンダ首都キガリにあるホテル1994年起きたルワンダ虐殺の際、1000人以上もの避難民かくまった場所として知られるフランス語ルワンダ別称である「千の丘」を意味する


オテル・デ・ミル・コリン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/20 17:25 UTC 版)

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ホテル正面

オテル・デ・ミル・コリンフランス語: Hôtel des mille collines)とは、ルワンダの首都、キガリにあるホテル1994年ルワンダ虐殺の際に、1000人以上の避難民をかくまった場所として有名になった。映画『ホテル・ルワンダ』は当時の支配人であったポール・ルセサバギナの話をもとにしている。ホテルの名前になっている、フランス語のミル・コリン(千の丘)とは、ルワンダの別称である。

歴史

1973年に建設され、ルワンダ虐殺の当時は、サベナ・ベルギー航空社がホテルを経営していた[1]ルワンダ紛争の停戦を監視する国際連合ルワンダ支援団(UNAMIR)は1993年10月の発足当初はホテルを本部にしていたが、翌11月にUNAMIR司令官のロメオ・ダレールとルワンダのジュベナール・ハビャリマナ大統領は、1986年中華人民共和国によって建設されたアマホロ・スタジアム英語版を新たな本部に代えた[2]。ホテルのヨーロッパ人支配人は退避しており、副支配人であったルセサバギナが支配人となった。フツ族民兵賄賂を使って避難民を虐殺から守り、や食料を確保する手配を行い、1000人以上の避難民が助けられた。

現在でも四つ星ホテルとして営業している。施設には112の客室、カフェバー、3の会議室、レストラン、プールがある。公式ホームページによれば、2005年9月15日に、サベナ社から、ルワンダのミッコー・ホテルズ・ホールディング(Mikcor Hotels holding)に経営譲渡された。

脚注

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  1. ^ Mwai, Collins. “Mille Collines snaps ties with Kempinski Hotels”. The New Times Rwanda. 2018年10月21日閲覧。
  2. ^ Dallaire, Roméo (2005). Shake Hands with the Devil: The Failure of Humanity in Rwanda. London: Arrow. ISBN 9780099478935. pp. 106-110.

出典・参考文献

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