エミル・コンスタンティネスクとは? わかりやすく解説

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エミル・コンスタンティネスク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 15:47 UTC 版)

エミル・コンスタンティネスク
Emil Constantinescu


任期 1996年11月29日2000年12月20日

出生 (1939-11-19) 1939年11月19日(84歳)
ルーマニア王国 ティギル
政党 ルーマニア共産党→)
キリスト教民主国民農民党→)
(無所属→)
人民行動→)
国民自由党
配偶者 ナディア・イリーナ・コンスタンティネスク
署名

エミル・コンスタンティネスクルーマニア語: Emil Constantinescu1939年11月19日 - )は、ルーマニア政治家地質学者

大統領(第2代)、民主会議議長、ブカレスト大学学長を歴任。1997年北京大学より名誉博士号が授与される。

概要

ブカレスト大学ロー・スクール修了。

民主会議(CDR)に参加するキリスト教民主国民農民党(PNTCD)の一員であったが、1992年の大統領選挙に民主会議の候補者として立候補し、決選投票に進むも現職のイオン・イリエスクに敗れた。

1996年の大統領選挙に再びCDRの候補者として立候補し、決選投票で得票率54.5%を獲得し、イリエスクを破り当選した。ルーマニア革命以降、非共産党系の人物として「無血革命」で選ばれた大統領となった。

大統領就任に伴い、憲法の規定に従ってPNTCDを離党した。

大統領

コンスタンティネスクへの国民の期待は大きく、国営企業の民営化や金融改革を進めたが、鉱山労働者の全国的な抗議運動を引き起こし、外国資本の投資も遠のく結果となった。

経済政策の失敗に加え、共産党政権時代の秘密警察資料の公開を拒否したことで国民の信任を失うこととなり、2000年の大統領選挙へ不出馬を表明し、1期で退任した。

公職
先代
イオン・イリエスク
大統領
第2代:1996 - 2000
次代
イオン・イリエスク




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