エドウィン・ディアス (ボクサー)とは? わかりやすく解説

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エドウィン・ディアス (ボクサー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:02 UTC 版)

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エドウィン・ディアス
基本情報
本名 エドウィン・ディアス
階級 ミニマム級
身長 172.5cm
リーチ 174cm
国籍 パナマ
誕生日 (1981-09-03) 1981年9月3日(40歳)
出身地 パナマシティー
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 36
勝ち 16
KO勝ち 5
敗け 20
引き分け 0
無効試合 0
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エドウィン・ディアスEdwin Diaz1981年9月3日 - )は、パナマプロボクサーパナマシティー出身。

来歴

2001年5月19日にプロデビュー。

2005年4月29日WBCラテンアメリカミニマム級王座に挑戦も0-2(45-48、46-49、47-47)の5回負傷判定負けを喫し王座獲得に失敗。

2005年8月20日、パナマライトフライ級王座挑戦も0-3(94-97、92-98、92-97)の判定負けを喫し王座獲得に失敗。

2007年6月2日ファン・ランダエタと対戦し、3-0(76-75、77-74、76-74)の判定勝ちを収めた。

2007年7月14日、ファン・ランダエタと対戦し、2回2分5秒TKO負けを喫し前戦の借りを返された。

2010年6月4日WBAフェデカリブライトフライ級王座決定戦で3-0(78-75、77-74、80-71)の判定勝ちを収め王座獲得に成功した。

2011年2月6日WBC世界フライ級シルバー王座に挑戦するも、0-3(108-119、109-118、111-116)の判定負けで王座獲得に失敗した。

2011年10月22日WBAフェデカリブミニマム級王座決定戦で3-0(77-72、76-73、76-73)の判定勝ちを収め王座獲得に成功、WBAフェデカリブ王座の2階級制覇を果たした。

2012年7月14日、パイパロープ・ゴーキャットジムが同年1月7日にタイロッブリー県の路上でプロボクサー仲間とバイクの2人乗りをして職務質問を受けた際に覚せい剤を100錠所持していた為、麻薬取締法違反で逮捕され[1]、同年5月10日にWBA世界ミニマム級暫定王座を剥奪されたことに伴いメキシコナヤリット州テピクのエル・パレンケ・デ・ラ・フェリアでWBA世界ミニマム級5位のヘスス・シルベストレメキシコ)とWBA世界ミニマム級暫定王座決定戦を行い、7回にゴングの後のヒッティングでシルベストレが1点減点されたが勝敗を左右する程でもなく、0-3(110-119、112-118、111-117)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

獲得タイトル

脚注

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関連項目

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