エステル・モレノとは? わかりやすく解説

エステル・モレノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/09 06:45 UTC 版)

エステル・モレノ
プロフィール
リングネーム エステル・モレノ
チキータ・アステカ
本名 マリア・エステル・モレノ・レオン
ニックネーム アステカの妖精
身長 153cm
体重 58kg
誕生日 (1969-02-20) 1969年2月20日(54歳)
出身地 メキシコメキシコシティ
トレーナー アルフォンソ・モレノ
ブルー・パンテル
デビュー 1984年3月18日
テンプレートを表示

エステル・モレノEsther Moreno1969年2月20日 - )は、メキシコの女子プロレスラー。本名・マリア・エステル・モレノ・レオンMaria Esther Moreno León)。父は元レスラーでアレナ・アステカ・ブドーカンのプロモーターだったアルフォンソ・モレノ。モレノ4姉妹の次女で、上からロッシーエステルシンティアアルダとなる。弟(シンティアとアルダの間)もオリエンタルのリングネームでルチャドールとして活躍している。イホ・デル・ドクトル・ワグナーは甥(ロッシーの息子)。

経歴

LLIに入団し、1984年3月18日、ネッサにてエステラ・メリナ&マリア・レイ戦(パートナーはシレニータ)でルチャドーラデビュー。

1986年、設立されたばかりのジャパン女子プロレスに留学生として来日。旗揚げ戦ではこの試合がデビュー戦となった尾崎魔弓とタッグ。ムーンサルトアタックを日本で初めて披露した。

2年間活動した後に帰国し、EMLLに移籍。

1990年、再来日して全日本女子プロレスに定着参戦。この時はラ・ディアボリカを帯同した。マスクウーマン「チキータ・アステカ」にも変身し、チャパリータASARIとも渡り合った。

1991年、妹シンティアを全女に連れ、姉妹タッグでラス・カチョーラス・オリエンタレスを降し全日本タッグを奪取。

その後、負傷による長期欠場を経て、Jd'旗揚げに参加。アルシオンJWPにも参戦している。帰国後のメキシコではAAAに活躍の場を移した。

得意技

  • ムーンサルト・プレス
  • ラ・ケブラーダ

タイトル歴

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エステル・モレノ」の関連用語

エステル・モレノのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エステル・モレノのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエステル・モレノ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS