ロッシー・モレノとは? わかりやすく解説

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ロッシー・モレノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/10 02:03 UTC 版)

ロッシー・モレノ
プロフィール
リングネーム ロッシー・モレノ
本名 マリア・デル・ロシオ・モレノ・レオン[1]
身長 164cm[1]
体重 65kg[1]
誕生日 (1965-10-17) 1965年10月17日(58歳)[1]
出身地 メキシコメキシコシティ[1]
トレーナー アルフォンソ・モレノ[1]
デビュー 1978年[1]
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ロッシー・モレノRossy Moreno1965年10月17日 - )は、メキシコの女子プロレスラー。本名・マリア・デル・ロシオ・モレノ・レオン

父は元レスラーでアレナ・アステカ・ブドーカンのプロモーターだったアルフォンソ・モレノ。3人の妹であるエステルシンティアアルダもルチャドーラで、弟(シンティアとアルダの間)もオリエンタルのリングネームでルチャドール。ドクトル・ワグナー・ジュニアは元夫で、その間に息子のイホ・デル・ドクトル・ワグナーがいる[1]。もう1人の息子はガレノ・デル・マル

経歴

父からルチャの基礎を学び、1978年にネッサワルコヨでデビュー[1]

1982年には、メキシコ州のタイトルであるエスタド・デ・メヒコ王座を獲得[1]

以降は、LLIを主戦場として、1985年に全日本女子プロレスで初来日。ジャガー横田が持つUWA世界女子王座にも挑戦した。

1986年、ジャパン女子プロレス旗揚げに参加。8月17日の旗揚げ戦では風間ルミのデビュー戦の相手を務めた。ジャパン女子には妹エステルも留学生として加わっている。

帰国後、CMLLで活動した後、ドクトル・ワグナー・ジュニアと結婚して2児の母となるが、離婚[1]

その後AAAで復帰。ソチ浜田との抗争やシンティアとの姉妹対決などルーダとして活躍する[1]。2000年に開かれた第2回「レイナ・デ・レイナス」で優勝も飾る。

現在はフリーとしてメキシコのみならず米国にも進出している[1]

得意技

  • セントーン[1]
  • ゴリー・スペシャル[1]

タイトル歴

  • エスタド・デ・メヒコ王座
  • レイナ・デ・レイナス王座

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 女子ガイコク人列伝(第27話)ロッシー・モレノ”. ロッシー小川ブログ MY FAVORITE LIFE. 2012年12月7日閲覧。

関連項目




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