アントニウスの侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:37 UTC 版)
「フラーテス4世」の記事における「アントニウスの侵攻」の解説
フラーテス4世は即位するとすぐに兄弟の大半を殺害して政権の安定を図り、ローマ軍の侵入を撃退した。しかし反フラーテス4世派であったモナエセスらはローマに支援をもとめ、マルクス・アントニウスはこれに応じて10万人の兵力を持ってパルティアに侵入、パルティアの従属王国の1つアトロパテネ王国の首都ガンザカ(アゼルバイジャン語版)を包囲したが、フラーテス4世はローマ軍の補給部隊を襲撃してこれを撤退に追い込んだ。アントニウスは撤退を完了するまでに兵力の3分の1を喪失した。
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