アマチュア→西武時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 18:13 UTC 版)
神戸弘陵高では3年夏にエースで甲子園に出場し、3回戦で宮地克彦がエースの尽誠学園高に敗れる。同期に出口雄大がいた。プリンスホテル硬式野球部では2年連続都市対抗野球で救援登板。残留と言われていたが、1992年のドラフト2位で西武ライオンズに入団。150km/hを超えるストレートを武器に即戦力を期待されたが、西武での3年間は満足な成績を挙げられなかった。 1995年シーズンオフ、ハワイ・ウィンターリーグで非公式ながら100マイル(約161km/h)を出し、幻の日本人100マイル投手として知られるようになる。
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