アブドゥッラヒム・ワルダクとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 海外の政治家 > アフガニスタンの政治家 > アブドゥッラヒム・ワルダクの意味・解説 

アブドゥッラヒム・ワルダク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/07 16:14 UTC 版)

アブドゥッラヒム・ワルダク
Abdurrahim Wardak
2006年11月21日、ペンタゴンにて
生年月日 1946年(75 - 76歳)
出生地 アフガニスタン王国 ヴァルダク州
称号 元帥

国防大臣
在任期間 2004年12月23日 - 2012年8月7日
大統領 ハーミド・カルザイ
テンプレートを表示
2011年8月19日、アフガニスタン独立記念日の記念式典にて

アブドゥッラヒーム・ワルダクパシュトー語: عبدالرحيم وردګ、羅:Abdurrahim Wardak、1946年 - )は、アフガニスタンの政治家、軍人。

経歴

ヴァルダク州出身。パシュトゥーン人。アブドゥルガニー・ワルダクの息子。

1962年、カーブル士官学校を卒業し、アメリカエジプトの軍事学校で教育を受けた。1976年からアフガン陸軍で各職を務めた。

1980年代中盤、ムジャーヒディーン側に移り、サイード・アフマド・ギラニのアフガニスタン民族イスラム戦線に参加した。1988年3月、ジャラーラーバードのムジャーヒディーンの統合本部を指揮。

1990年代中盤、欧州に移民し、ザーヒル・シャー元国王の側近となった。

2001年末、パキスタンに移住し、ザーヒル・シャーにより新国軍の国防相兼総司令官に任命され、王政復興のための交渉を行った。2002年12月、新国軍の新兵募集委員会議長。

2003年9月20日、国防第一次官。2004年12月23日、国防相。2010年1月2日、国防相に再任。

2012年8月7日、下院での解任決議を受け国防相を辞任した。

先代:
ムハンマド・ファヒーム
アフガニスタン
国防大臣
2004年 - 2012年8月7日
次代:
ビスミッラー・ハーン・モハンマディ




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アブドゥッラヒム・ワルダク」の関連用語

アブドゥッラヒム・ワルダクのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アブドゥッラヒム・ワルダクのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアブドゥッラヒム・ワルダク (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS