アブドゥッラティーフとは? わかりやすく解説

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アブドゥッラティーフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 04:37 UTC 版)

アブドゥッラティーフ
بدالطیف
ティムール朝
アミール
在位 1449年 - 1450年5月

出生 1420年頃?
死去 1450年5月9日
配偶者 シャー・スルタン・アーガー
子女 アブドゥル・ラッザーク
アフマド
ムハンマド・バーキール
ムハンマド・ジューキー
王朝 ティムール朝
父親 ウルグ・ベク
母親 ルカイヤ・ハトゥン・アルラト
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アブドゥッラティーフ(Abd al-Latif ibn Muhammad Taraghay Ulughbek, 1420年頃? - 1450年5月9日)は、ティムール朝の第5代君主(在位:1449年 - 1450年5月)。

生涯

第4代の君主ウルグ・ベクと、彼の側室ルカイヤ・ハトゥン・アルラトの子として生まれる。

1447年にウルグ・ベクが即位した後、国内に多くの王位請求者が現れる。アブドゥッラティーフの従兄弟であるアラー・ウッダウラも王位請求者の一人であり、彼はガウハール・シャード(シャー・ルフの妃。アブドゥッラティーフの祖母にあたる)の支援を受けて反乱を起こした[1][2]。この時にアブドゥッラティーフはアラー・ウッダウラに捕らえられるが、ウルグ・ベクとアラー・ウッダウラによる和平交渉の際に釈放された[1]。交渉の際にアラー・ウッダウラに課された他の条件は履行されず、ウルグ・ベクは再戦の後にアラー・ウッダウラを破り、彼をマシュハドへと追いやった[1]。ウルグ・ベクがマシュハドのアラー・ウッダウラに勝利した時、彼は別に軍を率いてヘラートを占領した[2]

しかし、ウルグ・ベクが国政の中心をヘラートではなくサマルカンドに据えたことを不服として、駐屯先のバルフで反乱を起こし[2]、アブドゥッラティーフは父との戦いに勝利する。一度はウルグ・ベクを助命し、メッカ巡礼(ハッジ)の願い出に許可を出すが、父が出発した後に助命を撤回して死刑の判決を下し、ペルシア人奴隷を遣わして父を殺害した[2]

即位後はスーフィズムの聖者、修行僧を保護し、私生活においても敬虔なムスリムであったため、父とは異なりイスラームの指導者層から支持を受けた[3]。しかし、将校の多くは彼に服しておらず[4]、1450年5月9日にウルグ・ベクの忠僕によって暗殺された[1]

宗室

父母

后妃

  • シャー・スルタン・アーガー
  • 氏名不詳の妃

  • アブドゥル・ラッザーク
  • アフマド
  • ムハンマド・バーキール
  • ムハンマド・ジューキー

脚注

  1. ^ a b c d デニスン・ロス、ヘンリ・スクライン『トゥルキスタン アジアの心臓部』、231頁
  2. ^ a b c d ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、87頁
  3. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、90頁
  4. ^ ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、90-91頁

参考文献

  • デニスン・ロス、ヘンリ・スクライン『トゥルキスタン アジアの心臓部』(三橋冨治男訳, ユーラシア叢書, 原書房, 1976年)
  • フランシス・ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』(小名康之監修, 創元社, 2009年5月)




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