ムハンマド・ファヒームとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ムハンマド・ファヒームの意味・解説 

ムハンマド・ファヒーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:58 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ムハンマド・ファヒーム
محمد قسیم فهیم
2004年
生年月日 1957年
出生地 アフガニスタン王国 パンジシール州
没年月日 2014年3月9日
死没地 アフガニスタン カブール
称号 元帥

アフガニスタン
第一副大統領
在任期間 2009年11月19日 - 2014年3月
大統領 ハーミド・カルザイ

国防大臣
在任期間 2001年 - 2004年
大統領 ブルハーヌッディーン・ラッバーニー
ハーミド・カルザイ
テンプレートを表示

ムハンマド・カシーム・ファヒームペルシア語: محمد قسیم فهیم‎、羅:Mohammed Qasim Fahim、1957年[1] - 2014年3月9日[2] )は、アフガニスタンの政治家、軍人。第一副大統領(2009年11月 - 2014年3月)。元帥。タジク人

日本の報道では、「モハマド・カシム・ファヒム」などと表記される。

経歴

パンジシール州出身[1]

ブルハーヌッディーン・ラッバーニーが率いるアフガニスタン・イスラム協会の党員。ソ連アフガン侵攻時、アフマド・シャー・マスードの指揮下で、野戦指揮官、政治委員、諜報機関「シュライ・ナジル」(監視会議)の副議長を務める。

ラッバーニー政権樹立後、保安相を務める。1991年からアフガニスタン国家イスラム保安局長。

1996年にターリバーンカーブルを奪取した後、北部同盟の軍事会議議員となり、アフガニスタン北部の作戦を担当した。マスード暗殺後は、北部同盟軍司令官に任命され、数日後にドゥシャンベで開かれた北部同盟支持国(イランインドロシアタジキスタン)代表の会議において承認された。

2001年11月~2002年6月、ハーミド・カルザイ暫定政権の副大統領兼国防相。2002年6月~2004年7月、移行政権の副大統領兼国防相。

2005年12月、メシュラーノ・ジルガ(上院)議員。

2009年11月19日、第2次カルザイ政権の第一副大統領に任命。

2014年3月9日、副大統領在任中に死去。

脚注

  1. ^ a b H.E. Mohammed Fahim”. The Afghanistan Embassy. 2012年11月27日閲覧。
  2. ^ BBC News Afghan vice-president Mohammad Qasim Fahim dies
先代:
アフマド・ズィヤ・マスード
アフガニスタン第一副大統領
2009年11月19日 - 2014年3月
次代:
ユーヌス・カーヌーニー
先代:
アフマド・シャー・マスード
北部同盟政府国防相)
アフガニスタン国防大臣
2001年 - 2004年
次代:
アブドゥッラヒム・ワルダク





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ムハンマド・ファヒーム」の関連用語

ムハンマド・ファヒームのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ムハンマド・ファヒームのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのムハンマド・ファヒーム (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS