アニメンタリー 決断
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『アニメンタリー 決断』(アニメンタリー けつだん)は、太平洋戦争を題材にした竜の子プロダクション制作のテレビアニメである。1971年4月3日から同年9月25日までの間、毎週土曜日19時30分 - 20時に日本テレビ系で全26回放映された[1]。
- ^ a b c d e f アニメージュ編集部『TVアニメ25年史』徳間書店、1988年、37頁。
- ^ 但馬オサム『世界の子供たちに夢を ~タツノコプロ創始者 天才・吉田竜夫の軌跡~』メディアックス、2013年、p.223
- ^ タツノコ世界遺産 タツノコ作品と視聴率(インターネットアーカイブのキャッシュ)
- ^ a b “アニメンタリー「決断」/解説”. 竹書房. 2018年10月14日閲覧。
- ^ 但馬、p.231
- ^ 天野ミチヒロ「第四章 テレビアニメ アニメンタリー 決断」『放送禁止映像大全』三才ブックス、2005年7月1日、ISBN 4-86199-004-1、141頁。
- ^ フィルム収録かVTR収録かは不明。もし後者であれば、1970年代初期は扱いの煩雑なオープンリール2インチVTRが使われ、かつテープが高価だったため放送終了後に他の番組収録に使い回されることも多く、現存していない可能性がある。
- ^ 第3話で空母「飛龍」沈没に際して使われた万歳三唱も「天皇陛下万歳!」ではなく「万歳!」だった。
- ^ 但馬、p.219。同じくタツノコプロに在籍した鳥海永行はその前に別の戦争ものの企画があったが、それがサッポロ側の介入で変更されたと証言している(但馬、pp.216 - 217。この内容は『タツノコプロ・インサイダーズ』[講談社・2002年]からの引用)が、九里は当初から戦史物だったとしている。
- ^ a b c 但馬、pp.220 - 222
- ^ 但馬、pp.226 - 227。
- ^ 同様のスケジュール逼迫から、後年『魔境伝説アクロバンチ』では合体バンク前半期や初期数話のOP&EDでも同様の処理での間に合わせ収録が行われている。該当記事参照。
- ^ 但馬、p.221
- ^ a b c 但馬、p.224 - 225(九里の証言)
- ^ 但馬、pp.228 - 229
- ^ これについて、九里は声優からクレームが付いたとしているが、録音監督の水本完は逆に喜ばれた(「ラジオ(ドラマみたいなもの)ですよ」)と証言している(但馬、pp228 - 229。水本の証言は『タツノコプロ・インサイダーズ』からの引用)。
- ^ 但馬、p.230。
- ^ 厳密には硫黄島要塞の建設を開始した1944年から描かれている。
- ^ 『福島民報』1971年4月9日、9月24日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 本来日本テレビ系列の広島テレビは、当時はフジテレビ系列とのクロスネット局だったため、本番組の木曜19:30枠で『クイズグランプリ』『スター千一夜』を放送していたことと、同局の編成から外れた日本テレビ・フジテレビ系列の番組の一部を広島ホームテレビと中国放送(TBS系列)が引き受けていたことによるもの。
- 1 アニメンタリー 決断とは
- 2 アニメンタリー 決断の概要
- 3 声の出演
- 4 各話リスト
- 5 放送局
固有名詞の分類
アニメ作品 あ | あひるのおばけ ダッキュラ あゆまゆ劇場 アニメンタリー 決断 赤胴鈴之助 アキバ系彼女 |
日本テレビ系アニメ | セレンディピティ物語 ピュア島の仲間たち ときめきトゥナイト アニメンタリー 決断 海底超特急マリンエクスプレス 大恐竜時代 |
1971年のテレビアニメ | 国松さまのお通りだい 秋のまんが祭り アニメンタリー 決断 さるとびエッちゃん スカイヤーズ5 |
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