アッシリア碑文の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 20:38 UTC 版)
『アッシリア碑文』においてスキタイはアシュグザあるいはイシュクザーヤと記される(紀元前7世紀)。 アッシリア王エサルハドン(在位:前681年 - 前669年)は、マンナエの地(現:西北イラン)でマンナエ軍とマンナエを救援するためにやってきたアシュグザ国(スキタイ)王イシュパカー(英語版)の軍を撃ち破った。その後、イシュパカーは前673年頃アッシリアによって殺される。ところがその翌年、エサルハドンは自分の娘をイシュクザーヤ(スキタイ)の王バルタトゥア(英語版)に与えて結婚させ、同盟関係となる。 この「バルタトゥア」はヘロドトス『歴史』に登場する「プロトテュエス」と考えられ、プロトテュエスの息子であるマデュエス(英語版)率いるスキタイ軍がメディア軍を破り、全アジアを席捲するというヘロドトス『歴史』のエピソードにつながっていく。
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