アクリシオスとの対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 03:38 UTC 版)
プロイトスとアクリシオスは生まれる前から母の胎内で争い、成長すると王位をめぐって戦った。一説にこの戦いはプロイトスがアクリシオスの娘ダナエーを穢したことが原因であるという。しかしプロイトスは敗れてアルゴスを追放され、リュキア王イオバテースのもとに身を寄せ、イオバテースの娘と結婚した。プロイトスはイオバテースのリュキア軍とともにアルゴスに帰還し、ティーリュンスを得た。このときキュクロープスたちがティーリュンスの城壁を築いたと伝えられている。ストラボーンによると彼らは7人おり、プロイトスの招きに応じてリュキアからやって来た。プロイトスはこの都市を出撃のための基地として利用した。 パウサニアースによると、プロイトスとアクリシオスの戦争は勝敗がつかなかったため、両者は土地を分け合い、アクリシオスはアルゴスを、プロイトスはティーリュンス、ミデア、ヘーライオン、あるいはさらにコリントスを支配した。またこの戦いで楯が発明されたという。
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