アガーテ・バッケル=グロンダールとは? わかりやすく解説

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アガーテ・バッケル=グロンダール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/27 14:28 UTC 版)

アガーテ・バッケル=グロンダール
基本情報
生誕 (1847-12-01) 1847年12月1日
出身地 スウェーデン=ノルウェー
 ノルウェー、ホルメストラン
死没 (1907-06-04) 1907年6月4日(59歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト作曲家
担当楽器 ピアノ

アガーテ・バッケル=グロンダール(Agathe Backer Grøndahl, 1847年12月1日 ホルメストラン - 1907年6月4日 クリスチャニア)は、ノルウェーピアニスト作曲家

経歴

クリスチャニア(現オスロ)でオットー・ヴィンテル=イェルムとハルフダン・シェルルフ、ルトヴィク・マティアス・リンデマンに師事した。その後フィレンツェハンス・フォン・ビューローの、ヴァイマルフランツ・リストの薫陶を受ける。

バーナード・ショーが注目するほど国際的に名声のあるピアニストであったが、後年に聴力を失い、音楽活動を断念した。エドヴァルド・グリーグとは親友同士であり、バッケル=グロンダールが亡くなると、グリーグは「ミモザの花のような彼女の音楽はもう聴けない」と言って惜しんだ。作品番号にして70曲の、個別に数えて総数400曲の作品を残した。ほとんどすべてがピアノ曲と声楽曲で、管弦楽曲や室内楽曲はほとんど書いていない。民俗生活を題材とした性格的小品が多いが、ピアノ曲はグリーグほど大胆ではなく、しばしばショパンシューマンの影響下に留まっている。

親族

指揮者、作曲家のオラウス・アンドレアス・グロンダールと結婚し、息子のフリチョフ・バッケル=グロンダールもピアニスト、作曲家となった。

姉のハリエット・バッケルは有名な画家であり、いくつかの油彩画において妹をモデルにしたと言われている。

脚注

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