しとどの窟の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/05 08:50 UTC 版)
真鶴町真鶴港の近くのしとどの窟は、頼朝の時代には130mの奥行きがあったと言われるが徐々に波に削られ江戸時代末期には間口3m、奥行き11mほどの大きさとなっていた。当時の窟は海に面していたが、関東大震災による土地の隆起で現在の高さとなった。さらに第二次世界大戦時、真鶴岬溶岩(安山岩質)から成るこの場所は、三浦半島に海軍飛行場を作るため、資材として多くの石が切り出され、今の規模となった。江戸時代末期に築かれた品川台場(砲台)にも真鶴産の石が使われており、同地内に品川台場礎石の碑として礎石だけが移されている。
※この「しとどの窟の変化」の解説は、「しとどの窟」の解説の一部です。
「しとどの窟の変化」を含む「しとどの窟」の記事については、「しとどの窟」の概要を参照ください。
- しとどの窟の変化のページへのリンク