いわとくパルコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/04 21:05 UTC 版)
座標: 北緯40度30分32秒 東経141度29分27秒 / 北緯40.508983度 東経141.490963度 いわとくパルコ(英字表記 iwatoku PARCO)は、八戸市中心市街地の一角を占める、青森県八戸市六日町に所在するテナントビル[1][2]。2025年3月の営業終了、その後の解体、再開発が決定している[3]。
沿革

岩徳は、不動産賃貸業の会社として1966年に設立され、同年中に本館を新築し、さらに1974年に隣接地に新館を建てた[1]。本館は4階建て、新館は8階建てである。新館の3階以上には、ホテルサンルート八戸が入っていた[4]。
2017年11月より、新館のホテル部分は、岩徳の系列会社によるホテルリバティヒルにブランドが変わった[5]。
1998年当時の年間売り上げは、およそ1億4000万円ほどあったが、コロナ禍の影響などもあって2021年には8000万円を割り込む水準になっていた[1]。
行き詰まりの直接のきっかけは、経営に当たっていた代表の岩岡徳衛が2021年8月に病に倒れ、関連事業の継承の目処が立たなくなったことにあった[1]。10月には、ホテルリバティヒルが営業を休止した[1]。
岩徳、および、ホテルリバティヒルは、2022年7月26日に青森地方裁判所八戸支部に自己破産を申請し、5人いた岩徳の従業員も全員が解雇された[1]。
この時点で、いわとくパルコには40軒ほどのテナントが入居していたとされる[1]。
2022年11月、地元の建設会社田名部組が、いわとくパルコの土地と建物を取得し、以降2年ほど営業を続けた上で、再開発する意向であることを発表し[6]、一連の所有権移転の手続きは2023年3月に完了した[7]。
田名部組は、いわとくパルコに残るテナントに2025年3月までに退去することを求めて、働きかけた[3]。2025年2月2日には、イベントとして「いわとくパルコフェス」が開催された[8][9][10]。2月末の段階でいわとくパルコに残っていた店舗は10店ほどであったが[11]、2025年3月31日をもって閉館となった[12]。
2026年度中には建物が解体され、跡地には2028年春に新しい建物が建設される運びとなっている[11]。
脚注
- ^ a b c d e f g h 「岩徳(八戸)が破産申請 「いわとくパルコ」は当面継続」デーリー東北新聞社、2022年7月29日。2024年9月17日閲覧。
- ^ a b 「いわとくパルコ特集 本館編 (PDF)」『Plus(プリュス)』103号、リズム・エージェンシー、2019年5月24日、1, 4–5面。2024年9月17日閲覧。
- ^ a b “店舗営業、来年3月まで 新施設28年開業計画/いわとくパルコ(八戸)”. デーリー東北新聞社 (2022年6月1日). 2024年9月17日閲覧。
- ^ 「いわとくパルコ3Fホテルサンルート八戸」『GoGoTown』アイ・モバイル。2024年9月17日閲覧。
- ^ 「ホテルリバティヒル (Hotel Liberty Hill ) ホテルリバティヒルについて」『るるぶ』JTB。2024年9月17日閲覧。
- ^ 「田名部組(八戸)いわとくパルコ取得へ 2年運営継続、複合ビル建て替え構想」デーリー東北新聞社、2022年11月3日。2024年9月17日閲覧。
- ^ 「田名部組への所有権移転完了 破産の「いわとくパルコ」/八戸」デーリー東北新聞社、2023年3月28日。2024年9月17日閲覧。
- ^ 「いわとくパルコ フェス」はちのへJP。2025年5月4日閲覧。
- ^ 「閉館予定 いわとくパルコでフェス」『web東奥』東奥日報社、2025年1月30日。2025年5月4日閲覧。
- ^ 「さらば、いとしの文化拠点 「いわとくパルコ」閉館惜しみフェス」デーリー東北新聞社、2025年2月3日。2025年5月4日閲覧。
- ^ a b 「「いわとくパルコ」閉館まで1カ月 26年度解体、28年春新ビル開館見通し」デーリー東北新聞社、2025年3月1日。2025年5月4日閲覧。
- ^ Patrie (@zttist) - X(旧Twitter)
外部リンク
- 一つの時代が終わるのか…八戸市「いわとくパルコ」破産 - 1989年の住宅地図からの画像などを含む個人ブログ
- いわとくパルコのページへのリンク