RKO
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/03 01:40 UTC 版)
元の種類 | 非公開会社 |
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業種 | 映画 |
その後 | 倒産 |
前身 |
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設立 | 1929年1月25日 (ラジオ・キース・オーフィウムの子会社であるRKOプロダクションズとして) |
創業者 | デイヴィッド・サーノフ |
解散 | 1959年 |
本社 | |
親会社 |
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ウェブサイト |
www |
元々はRKOラジオ・ピクチャーズ(RKO Radio Pictures, Inc.、Radio-Keith-Orpheumの子会社、通称:RKO)[1]として設立された。
1928年10月、劇場チェーンのキース・アルビー・オーフィウム(KAO)とジョセフ・P・ケネディのフィルム・ブッキング・オフィス・オブ・アメリカ(FBO)スタジオが、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)の管理下に統合されたことにより、設立された。
RCAのチーフ、デビッド・サーノフは、同社のサウンド・オン・フィルム技術であるRCAフォトフォンの市場を作るために、この統合を企画した。1940年代半ばには、スタジオは投資家であるフロイド・オドラムの管理下に置かれていた。
RKOは、1930年代半ばから後半にかけて、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが主演したミュージカル作品で有名である。女優のキャサリン・ヘプバーンや、俳優のロバート・ミッチャムも、このスタジオで初めて大きな成功を収め、ケーリー・グラントは何年にもわたって主役を務めた。
プロデューサーのヴァル・リュートンが手がけた低予算のホラー部門や、現在フィルム・ノワールと呼ばれている分野への数々の進出は、後世の映画評論家や歴史家から評価されている。
RKOは映画史上最も有名な2つの作品、『キングコング』と『市民ケーン』を製作した。
また、『素晴らしき哉、人生!』や『汚名』などの有名な共同制作作品を手がけたほか、ウォルト・ディズニー(1937年から1950年代半ばまで)や、独立系プロデューサーの第一人者であるサミュエル・ゴールドウィンの有名作品を数多く配給した。
ハワード・ヒューズは1948年にRKOを買収した。彼の支配下で何年も混乱と衰退が続いた後、スタジオは1955年にゼネラル・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーに買収された。オリジナルのRKOピクチャーズは1957年に製作を中止し、その2年後には事実上解散した。1981年、会社の後継者である放送局のRKOゼネラルが、製作子会社であるRKOピクチャーズ・インク(RKO Pictures Inc.)としてスタジオを復活させた。
1989年、この事業は、多くの古典的なRKO映画の商標権やリメイク権を含む残りの資産とともに、新しいオーナーに売却され、現在は小規模な独立企業であるRKOピクチャーズLLC(RKO Pictures LLC)を運営している。
注釈
出典
- ^ “RKO Radio Pictures, Inc. | American film company” (英語). Encyclopedia Britannica. 2021年10月25日閲覧。
- ^ Museum of Broadcast Communications web site
- ^ RKO Radio Pictures, Inc. – retrieved February 4, 2006.
- ^ 『映画年鑑』1966年版p235
- ^ a b “東宝、東映、ディズニー映画を肩代わり配給―55年春以降、年間5本公開予定。”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社): p. 10. (1979年11月20日)
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