M3軽戦車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/28 16:42 UTC 版)
日本軍での鹵獲運用
太平洋戦線で鹵獲されたM3軽戦車は日本軍戦車より機動力・防御力に優れ、37mm戦車砲M5の攻撃力も九七式中戦車改の一式47mm戦車砲と比較して、極端な差がなかったために第一線で使用され続けた。なお、当時の日本軍は戦車開発において列強から取り残されつつあり、「日本が実戦に投入した最強の戦車は鹵獲したM3軽戦車」などというジョークが存在する[7]。
1942年(昭和17年)4月のコレヒドール島要塞攻略作戦にあたり、前述の臨時松岡中隊所属の九七式中戦車改2輌、九五式軽戦車4輌に混じって1輌のM3軽戦車も参加している。このうち、実際にコレヒドール島に辿り着けたのは九七式中戦車改2輌とM3軽戦車のみだった。しかし予期せぬ戦車の投入によりアメリカ軍守備部隊は恐慌をきたし、結果的に難攻不落とされたコレヒドール要塞も同日中に陥落することとなった。なお上陸地点から台上に進出する際、海岸前面は45度以上の傾斜で九七式中戦車では容易に登坂ができず、砲爆撃や工兵隊が障害物を爆破したもののやはり登坂に失敗した。しかし、M3軽戦車で登坂を試みたところ成功したため九七式中戦車を牽引した、というM3スチュアートの優秀な機動力を象徴するエピソードが残されている。
また、インパール作戦に参加した戦車第14連隊では第1,2,3中隊がM3軽戦車を装備する軽戦車小隊を保有していたほか、作戦発動前には戦力強化のためにM3を装備する第4中隊が新たに編入された。作戦初期の1944年(昭和19年)3月には日本軍のM3軽戦車が英印軍のM3中戦車と戦闘を交え、これを撃破している。しかし無謀な作戦計画による補給の不足や、強力な中戦車を前面に立てて戦闘を行う英印軍の前に、戦車14連隊は装備を失って壊滅し、タイへ撤退している。 この他、戦車第7連隊及び戦車第4連隊が鹵獲したM3軽戦車を装備している。
- ^ a b http://www.tanks-encyclopedia.com/coldwar/Brazil/Bernardini-X1A.php
- ^ Hunnicutt, R. P. Stuart, A History of the American Light Tank; Volume 1. 1992; Presidio Press. ISBN 0-89141-462-2.
- ^ Hunnicutt (Stuart) p. 396
- ^ 「激闘戦車戦」 p.212~215
- ^ 「戦車隊よもやま物語」 p.244
- ^ Paraguay keeping M3 Stuart, M4 Sherman tanks in service by Erwan de Cherisey, Paris - IHS Jane's Defence Weekly, 29 December 2015
- ^ UTP実行委員会著『帝国陸軍陸戦兵器ガイド 1972-1945』 新紀元社刊[要ページ番号]
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