1950年のF1世界選手権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 16:23 UTC 版)
シーズン概要
FIAがF1世界選手権規定を新設[1]、インディ500も選手権レースに認定し年間のレースで入賞に応じてポイントが与えられ[1]、その総合得点で競う世界選手権が開始された。アルファロメオ[1]が圧倒的[1]な戦闘力を発揮し、ジュゼッペ・ファリーナ[1]が最初のF1世界選手権チャンピオン[1]となる。
レギュレーション
FIAがF1世界選手権規定を新設した。選手権のポイントシステムについてはF1世界選手権ポイントシステムを参照のこと。
- エンジン
- 非過給4.5リットル、あるいは過給機つき1.5リットル
- 車体重量
- 制限なし
- レース距離
- 300kmを超えた最初のラップ、あるいは3時間を超えた最初のラップ
- インディ500
- インディ500規定に従う
- 乗換
- この年から1957年まではレース途中でもマシンの乗換が認められていた
特記記事
- F1世界選手権開始
- F1規定を統一し、年間のレースで入賞に応じてポイントが与えられ、その総合得点で競う世界選手権が開始された。
- アルファロメオ全勝
- アルファロメオが全てのF1規定レースにおいて勝利した。この車両、ティーポ158[1]は1938年[1]にデビューしたもので、マイナーチェンジが続けられていたものの13年目の車両である。エンジンは1.5リットルスーパーチャージャー付きエンジン。
- モナコGPで多重事故
- 10台がリタイヤする多重事故が発生。
- 有効得点差で順位に影響
- 年間7戦のうち、ベスト結果4戦の合計得点で競う有効得点システムが採用されたが、ルイジ・ファジオーリが2位4回・3位1回で28ポイントを稼ぐも有効得点24点に留まり、1位3回FL3回で獲得した27ポイント全てが有効得点となったファン・マヌエル・ファンジオより下のシリーズ3位となった。
開催地及び勝者
ラウンド | レース | サーキット | 開催日 | ポールポジション | ファステストラップ | 優勝者 | コンストラクター | タイヤ | レポート |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | イギリスグランプリ | シルバーストン | 5月13日 | ジュゼッペ・ファリーナ | ジュゼッペ・ファリーナ | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファロメオ | P | 詳細 |
2 | モナコグランプリ | モナコ | 5月21日 | ファン・マヌエル・ファンジオ | ファン・マヌエル・ファンジオ | ファン・マヌエル・ファンジオ | アルファロメオ | P | 詳細 |
3 | インディ500 | インディアナポリス | 5月30日 | ウォルト・フォークナー | ジョニー・パーソンズ | ジョニー・パーソンズ | カーティス・クラフト-オッフェンハウザー | F | 詳細 |
4 | スイスグランプリ | ブレムガルテン | 6月4日 | ファン・マヌエル・ファンジオ | ジュゼッペ・ファリーナ | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファロメオ | P | 詳細 |
5 | ベルギーグランプリ | スパ・フランコルシャン | 6月18日 | ジュゼッペ・ファリーナ | ジュゼッペ・ファリーナ | ファン・マヌエル・ファンジオ | アルファロメオ | P | 詳細 |
6 | フランスグランプリ | ランス・グー | 7月2日 | ファン・マヌエル・ファンジオ | ファン・マヌエル・ファンジオ | ファン・マヌエル・ファンジオ | アルファロメオ | P | 詳細 |
7 | イタリアグランプリ | モンツァ | 9月3日 | ファン・マヌエル・ファンジオ | ファン・マヌエル・ファンジオ | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファロメオ | P | 詳細 |
- 1950年のF1世界選手権のページへのリンク