鹿鳴館 (戯曲) あらすじ

鹿鳴館 (戯曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/26 13:53 UTC 版)

あらすじ

時は1886年(明治19年)11月3日の天長節

第1幕 - 午前10時。影山伯爵邸・庭内にある茶室潺湲亭。

天長を祝う観兵式が行われている日比谷の練兵場を見渡せる影山伯爵邸・庭内の茶室潺湲亭に集まった華族夫人たちの前に、元・新橋芸者だった影山伯爵夫人・朝子が現われた。朝子は輝くような美しさと人当りのよさで華族夫人たちの中心となっていた。公卿の出、大徳寺侯爵夫人・季子も朝子を崇拝するひとりで、娘・顕子の恋人の問題で助言を求めてきた。恋人の名は自由民権運動家・清原永之輔の息子・清原久雄だという。その名を聞いた時、朝子は心臓が止まる程ショックを受ける。話を聞くと、久雄は何か危険な行動へ出ようとしているらしい。そして今、その久雄を呼んできているという。
朝子は久雄の危険な計画を止めさせようと、自分が久雄の実の母であること、芸者時代の自分と永之輔との愛とを打ち明ける。だが久雄は、自分が今夜暗殺しようとしている相手は影山伯爵ではなく、父・清原永之輔であると意外なことを言った。

第2幕 - 午後1時。同所。

朝子は、かつての恋人で今も愛している清原永之輔を邸に呼びつけた。清原が今夜の鹿鳴館の舞踏会に、自由民権運動の一党を引き連れ乱入して来ることを止めさせようとするためだった。しかし清原は朝子の説得を容易に聞き入れない。そこで朝子は、これまで鹿鳴館の夜会には出ないことにしていた主義を翻し、今夜は自分が主宰者として出ると宣言する。朝子は、私の夜会をぶち壊しにしないで下さい、あなたの命をお救いしたい一心の贈物ですと清原を説得し、承諾させる。
影山伯爵が側近の飛田天骨と観兵式から帰ってきて茶室にやって来た。外務卿の影山伯爵は、内閣切っての実力者と自他共に認める存在だった。清原を急いで帰らせた朝子と女中・草乃は木蔭に隠れ、影山伯爵と飛田が話している内容を聞いてしまう。清原永之輔の暗殺計画の首謀者は実は、夫・影山伯爵だったのである。身を現わした朝子は、今夜は壮士の乱入はありません、と夫にきっぱり宣言する。

第3幕 - 午後4時。鹿鳴館の2階。

実の母・朝子に舞踏会に出るように命じられ、正装した久雄が恋人・顕子と鹿鳴館の2階にいる。やがて2人は朝子と季子に伴われ広間へ移動し、代わりにそこへ影山伯爵と草乃がやって来る。影山伯爵は草乃を強引に籠絡し一切を聞き出す。清原率いる壮志乱入がないことが確実だと知った影山伯爵は、偽の斬り込み隊を乱入させ、草乃を使い清原に知らせて、彼をおびき寄せる計画をする。そして朝子の計らいで今夜、父は乱入しないと思っている久雄に対し、そんなものを信じているのかとそそのかし、彼にピストルを渡す。

第4幕 - 午後9時すぎ。鹿鳴館の2階。舞踏場。

華やかな舞踏会が始まった。やがて給仕が朝子へ壮志の乱入を知らせた。朝子は階段の上で凛として立ちはだかり、これを阻止する。本物の壮志乱入と思い込んだ久雄は自分の母を裏切った父に激昂し、戸外へ出ていく。銃声が2発轟いた。朝子は、とうとう久雄はやってしまったと思ったが、露台に現われたのは清原永之輔であった。自分との約束を破り、久雄まで殺した清原を朝子はなじるが、実は久雄はわざと弾をはずし、自分が父に撃たれ死ぬことを選んでいたのであった。そして清原は、自分が朝子との約束を破ったのではないこと、偽の壮志を仕向けたのは影山伯爵であると告げて去っていく。
朝子と影山伯爵は激しく言い合う。そして今夜かぎりで別れ、清原の元へ行こうと決心した朝子と影山伯爵はいつわりのワルツを踊る。そこへ戸外で銃声が一発轟く音がする。

注釈

  1. ^ ヴィクトル・ユーゴーの『ルクレツィア・ボルジア』は、先夫との間にもうけた子と、現在の夫の間で苦悩するルクレツィアの物語である。ルクレツィアが最後に、自分を実の母とは知らないその子に殺されてしまう戯曲である。「ああ、おまえは私を殺す……私はおまえの母ですよ」という台詞で幕が閉じられる[9]
  2. ^ a b 幹事であった朝日放送は、放送当時はTBSJNN)系列であった。  

出典

  1. ^ a b c d 「舞台の多彩な魅力――『鹿鳴館』の成功」(松本 2010, pp. 86–89)
  2. ^ a b c 有元伸子「緊密に構成された絢爛たる大芝居」(太陽 2010, pp. 68–69)
  3. ^ a b c d 「『鹿鳴館』について」(毎日新聞〈大阪〉 1956年12月4日号)。三島 1984, pp. 354–355、29巻 2003, pp. 334–335
  4. ^ 井上隆史「作品目録」(42巻 2005, pp. 377–462)
  5. ^ 山中剛史「上演作品目録」(42巻 2005, pp. 731–858)
  6. ^ 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
  7. ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
  8. ^ a b 「美しき鹿鳴館時代――再演『鹿鳴館』について」(新派プログラム 1962年11月)。三島 1984, pp. 357–359、32巻 2003, pp. 137–138
  9. ^ a b 「III 死の栄光――『鏡子の家』から『英霊の聲』へ 二つの事件――脅迫と告訴」(村松 1990, p. 316)
  10. ^ 今村忠純「『鹿鳴館』についてのメモ」(国文学解釈と鑑賞 1992年9月号)。太陽 2010, p. 68
  11. ^ 今村忠純「鹿鳴館【研究】」(事典 2000, pp. 414–416)
  12. ^ 「戯曲を書きたがる小説書きのノート」(日本演劇 1949年10月号)。27巻 2003, pp. 222–229
  13. ^ 「第一部 評伝 三島由紀夫――第三章 問題性の高い作家 『鹿鳴館』」(佐藤 2006, pp. 91–92)
  14. ^ 「『鹿鳴館』について」(文学座プログラム 1956年11月)。三島 1984, pp. 352–353、29巻 2003, pp. 326–327
  15. ^ 冉小嬌 2012
  16. ^ 「年譜 昭和31年11月27日」(42巻 2005, pp. 203–204)
  17. ^ 舞台劇 鹿鳴館”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  18. ^ 鹿鳴館 前後編”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  19. ^ NHKクロニクル | NHKアーカイブス”. NHKオンライン. 2023年9月28日閲覧。
  20. ^ 鹿鳴館”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  21. ^ 鹿鳴館 Rokumeikan(新聞ラテ欄表記…鹿鳴館~華麗に踊る貴婦人達の大舞踏会!社交界の陰に咲く夫婦愛、親子愛…涙と感動の結末へ!!三島由紀夫の名作を完全映像化)”. テレビドラマデータベース. 2023年9月28日閲覧。
  22. ^ 樋口尚文「80年代「異業種映画」の栄光と挫折」『1980年代の映画には僕たちの青春がある』キネマ旬報社、2016年、188ページ
  23. ^ 山中剛史「三島映画略説――雑誌、新聞記事から」(研究2 2006, pp. 39–43)
  24. ^ 『完本 市川崑の映画たち』、2015年11月発行、市川崑・森遊机、洋泉社、P342~343





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