金瓶梅 特徴

金瓶梅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 09:54 UTC 版)

特徴

『金瓶梅』は『西遊記』『水滸伝』『三国志演義』とならんで四大奇書と呼ばれるものではあるが、他の三書が街で多数の演者により語られてきた、講談を基に編集された書であるのとは異なり、一人の人物が緻密に構成して書き上げたという点で、中国の白話小説でも画期的なものである[6]。『金瓶梅』は中国文学史上、それまでの『水滸伝』や『三国志演義』などの波乱万丈のストーリーを特徴とする小説からの転換点にあたり、その後の『儒林外史』や『紅楼夢』などの小説に大きな影響を与えた。中国文学者中野美代子は、著書『中国人の思考様式-小説の世界から-』(講談社現代新書、1974年)で、作者と読者(聴衆ではなく)の一対一の関係の設立した中国での最初の小説として、魯迅以降の近代小説の先駆的存在と述べている[7]。複数の作者がいるという説もあるが、第一回から西門慶が死んで財産が散り散りになってしまうことが予告され、それに向かってそれぞれの登場人物の結末に周到に伏線が張られていることから、複数の作者がいたとは考えにくい[8]

『金瓶梅』は『水滸伝』のプロットを利用しているほかにも、一回ものの講談を基にした話本[注 13] 、これを模した白話短編小説の擬話本、事件や裁判を描いた公案小説、元曲などの引用や影響も多くみられる[9]。当時の他の小説も、他の本からの引用やパロディが使われていたが、それが分かったからと言って作者の創作方法や創作意図が明らかになるわけではない[10] 。しかし『金瓶梅』の場合、なぜ作者がその素材を選び、それをどのように使用しているのかということは『金瓶梅』を理解する上での重要なテーマで[10]、パトリック・ハナンが1963年に初めてこのテーマを扱った網羅的な論文を発表した(Source of the Chin P'ing Mei Asia Major N.S. vol X Part I, 1963)。

具体的な素材としては、例えば話本の『清平山堂話本』『警世通言』などが挙げられる[11] 。あるいは好色短編小説の『如意君伝』も素材に取られている[注 14]。この『如意君伝』では、講談やそれを基にした口語文学の写実的な表現方法とは違い、色情描写が詩や駢語[注 15] などの方法で比喩やほのめかしで表される。そして『金瓶梅』でもそのスタイルが取り入れられており、文言小説[注 16]の手法が口語小説に取り入れられているという点で注目すべき点になっている[14] 。李開先の書いた戯曲である『宝剣記』も『金瓶梅』に取り入れられているが、このような戯曲や曲は、作者が実際に見たり聴いたりしたものを自分でも唄い、記憶を基に書いている形跡がある[15]

第四十二回
元宵節(陰暦正月十五日)の出し物の燈籠。この回では元宵節の宴会や燈籠、花火の様子が描かれている。(崇禎本の挿絵))

『金瓶梅』では、先行する『水滸伝』の世界ではほぼ省かれていた女性、愛欲、金銭、仔細な日常描写といった要素が全面的に展開されている。その描写は非常に詳しく、食べ物、飲み物について具体的に列挙し、人物の容姿、着ているものやアクセサリー、その柄やデザイン、色の合わせ方、化粧の様子なども詳細に描写されている。次の部分は李瓶児についての描写である。

(李瓶児は)上には、緋色の地に、五色をあしらった薄絹の長袖の長上着、下には、緑色の地に、金で枝と葉をあしらった百合模様の紗の裙子といういでたち、腰には碧玉の女帯を結び、腕には金の袖どめをはめ、胸には首飾りや瓔珞を垂らし、腰には佩玉を帯び、頭には真珠や翡翠の髪飾りを盛りあげ、鬢にはかんざしを挿し、耳には金台の紫水晶の耳輪、それから珠をくわえた鳳凰の形のかんざしを二本鬢に指しております。白い顔に翡翠の飾りがよく似合い、もすその下から紅おしどりが顔をのぞかせ、さながら嫦娥月殿を離れ、神女筳前に至るといったありさま。

第二十回(『金瓶梅 第3巻』小野忍千田九一訳、岩波文庫、1973年、p.288)

このような表現が衣食住のそれぞれについてあちこちに認められる。あまりに詳細であり、その個所も大変に多いので、「読んでいてうっとうしく思う」という感想さえ持たれるほどである[注 17]

会話や金銭の受け渡しなど、人々の振る舞いが活写されていることも特徴である。中国文学者の日下翠は第二十一回のエピソードを例にとって、描写のリアルさを説明している[16]。 この回では潘金蓮と孟玉楼が他の3人の奥様方からも金を集め、呉月娘を招いてみんなで雪見の宴会をしようと計画を立てるのである。ここでは、例えば、銀の地金またはその加工品を秤で測って取引をする様子が描かれている。もちろん当時は、実際そうやって取引をしていたのである。また、使用人が預かった金をごまかすことが黙認されている様子がわかり、そのことを前提とした上で、苦労して金を集めてきた孟玉楼が使用人に買い物を頼むときに、あまり上前をはねないでね、と釘を刺している。奥様方それぞれの人物の性格に応じて、金の出し方が違う様子も目に浮かぶかのようにうまく描写されている。

作者は男性であるとされているが、女性同士の会話や日常生活の様子が生き生きと描かれている。例えば、女性同士で靴を作る場面がいくつか出て来るが、何色の糸を使ったほうがよいか、どんな模様にするか、など男性なら大して興味もない話をしながら靴を作っている。また、これもやはり男性なら興味のない場面であろうが、髪を結っている様子が描かれている場面もある。作者はおそらく、女性たちの様子を普段からじっと観察しており、そういうことが好きだったのだろうと推察できる[17]

性的な娯楽小説としての特徴であるが、現在の同ジャンルの読み物で頻出するテーマの一つであるレイプの場面は『金瓶梅』にはない。レイプやSMの場面が少ないのは中国の性文学に共通の特徴で、それは作者や読者の属する君子階級では女性は征服すべき対象とはみなされなかったからであろう[18] 。また、西門慶の相手のほとんどは"素人"の女性である。西門慶との場面が描かれている主要な登場人物の中でまがりなりにも性を売り物にするプロと言っていいのは妓女の李桂姐だけだが、パトロンだからしかたなくといった感じであり、描写もおざなりである。おそらく作者は「その気になった女と遊んだ方が楽しい」と知っていたのであろう[19]


注釈

  1. ^ 原文では「炊餅」。これを「蒸し餅」と訳すのは岩波文庫の『金瓶梅』(小野忍・千田九一訳)に倣った。
  2. ^ 元の時代の戯曲『趙氏孤児』で屠岸賈が犬を襲わせて趙盾を殺す方法と同じ。
  3. ^ 西門慶が別の地で生まれ変わることが分かったすぐ後に、孝哥は西門慶の生まれ変わりであると書かれている。話が全く矛盾しているが、日下は、西門慶という人物は『水滸伝』の登場人物である西門慶としての側面と作者自身の投影である側面があり、それぞれの側面ごとに別の結末ができてしまったのであろうとしている[1]
  4. ^ 呉月娘と孟玉楼(西門慶の第4夫人)が人生を幸せに終えたことを言っている。
  5. ^ 李瓶児と春梅のこと。
  6. ^ 当時の女性美の要素のひとつが足の小ささであった。『金瓶梅』第二十二回にも、西門慶の愛人の一人が潘金蓮より足が小さいことを自慢する場面がある。
  7. ^ 武大の前妻との娘の迎児という子供が出てくるが、これは『水滸伝』にはない設定。作者は潘金連を自分で水仕事をするような階層の女性とはしたくなかったので、わざわざ下働きの役に迎児を登場させたのかもしれない[3]。例えば、孟玉楼と李瓶児は西門慶との結婚前の様子が描かれているが、彼女らはお金持ちの家柄で結婚前には身の回りの世話をするばあやがいた。
  8. ^ ただし、これは西門家に来てストーリーの本流にのってきてからの話で、西門家に来る前は夫のある身で西門慶を誘って会いに来させるなど、とても上品とは言えない振る舞いをしている。
  9. ^ 一般的な話として、正妻は第二以下の夫人とは格が違う。家庭内の日常的な管理については夫とほとんど同等の権威をもつ[4]
  10. ^ 時には喧嘩もするが、西門慶は「( 呉月娘は)なかなかいいたちですよ。でなければ、とてもあんなに大勢の人間を手もとにおいておけるもんじゃありません。」と評価し(第十六回)、しばしば西門慶にアドバイスを与えたりもする。
  11. ^ 「第七十九回」で西門慶が死に、そのすぐ後の「第八十回」で身の回りのものを持ち出しはじめ、それがばれて西門家から出される。なお、身の回りのものといえどもすべては西門家の所有物であり、西門慶の亡き後は正妻の呉月娘が認めない限り勝手に持ち出すことはできない。
  12. ^ 第十四回で、李瓶児が西門家に客として訪問した際、孫雪娥の身なりが他の4人より粗末で、西門慶の妻の一人とは気が付かなかったという場面がある。
  13. ^ 話本とはもともとは講釈師の台本のことである。
  14. ^ ただし、『金瓶梅』以前の如意君伝の版は現存しない[12]
  15. ^ 当時の白話小説によく出てくるの一定の句形を持つ段落のこと。例えば、「(金蓮の)そのいでたち、いかにといえば、」の後で改行し、1字下げた段落で『黒地に金をぬいとった、つけ髷(まげ)頭にいただいて、…』(第二回。訳文は小野・千田による)という風に地の文と区別されている部分。
  16. ^ 文言小説とは、代以後の中国小説史の上で、大きな比重を占めてはいなかったために、形態名が与えられていなかったこの分野に対し、前野直彬が仮に付けた呼称である[13]
  17. ^ 例えば、『金瓶梅 第1巻』村上知行編訳、ちくま文庫(新版)、2000年、巻末解説を参照。
  18. ^ 例えば、魯迅がそういう説があることを述べている[20]
  19. ^ 徐朔方「《金瓶梅》的写定者是李開先」『杭州大学学報(社会学版)』1980年、等[23]。李開先も山東省の人であるとされている。
  20. ^ 黄霖「《金瓶梅》作者屠隆考」『復旦学報(社会科学版)』1983年、等[23]
  21. ^ 「金瓶梅従何得来、伏枕略軌、雲霞満紙、勝於枚乗七発多矣。後段在何処、抄意当於何処倒換、幸一的示。」 『金瓶梅資料匪録』方銘編、黄山書社、 1986年一原載『袁宏道集箋校』上海古籍出版社、 1981年[29]。太字強調は引用者による。
  22. ^ 「呉友馮猶龍見之驚喜、慫恿書坊以重價購刻。馬仲良時権呉関、亦勧余応梓人之求、可以療飢。余白・・「此等書必遂有人板行、但一出則家伝戸到、壊人心術。他日閻羅究詰始禍、何詞以対?吾豈以刀愽泥犁哉。」仲良大以為然。遂固篋之。未幾時而呉中懸之国門矣。」」『万暦野獲編』第二十五巻[34]
  23. ^ 例えば、平子は1902年の雑誌『新小説』第8号の「小説業話」の中で「作者が尽きることない怨恨、限りない深痛を抱いて、暗黒の時代にいたが、言葉に出来ず、吐き出すこともならず、小説を借りて叫ぶしかなかった。当時の社会状況の描写からその一斑をみられる。」として、『金瓶梅』は決して淫書ではなく社会小説であるとしている[36]
  24. ^ 『仏頂心陀羅尼経』では写経の功徳が強調されており、それは私財を投じて人に写経させることも含む。写経は宋代になると手で写すだけでなく木版印刷で写され始めるようになる[47]。『金瓶梅』に描かれるのはさらに元を経た後の明の時代。
  25. ^ 尼といっても、ここに出てくる尼は宗教家ないし修行者ではなく、読経や呪いを請負い、ポン引きまがいのことまで手掛ける非常に世俗的な存在である。
  26. ^ 小野によれば「万暦45年以降」だという[50]
  27. ^ 劉邦亡き後、皇后(大后)の呂氏は戚氏を動けないように片輪させた上トイレに閉じ込め、「人豚」と呼ばせた(当時、排泄物を処理するために豚がトイレに飼われていた)。
  28. ^ 潘金蓮も正妻ではない。
  29. ^ 日下の説[57]。西門慶については「極悪人というほどの“極悪”さが感じられないので、改訂者は“悪人”の印象を強めようとしたのではないか」としている。
  30. ^ 「然原本貴少五十三回至五十七回,遍寛不得,有晒儒補以入刻,無論膚浅都便,時作呉語,即前後血脈,亦絶不貫串,一見知其贋作臭。」
  31. ^ 例えば、『水滸伝』で宋江が閻婆惜を殺した状況を描写する駢語が、『金瓶梅』で武松が潘金連を殺す状況に使用されている。

出典

  1. ^ 6、1995年、pp.163-165。
  2. ^  蘭陵笑笑生 (中国語), 金瓶梅/第100回, ウィキソースより閲覧。 
  3. ^ 日下、1996年、pp.42-43
  4. ^ 藤原他、p.116
  5. ^ 張竹坡: 田中訳、p102
  6. ^ a b 井波律子『中国の五大小説 下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年)、『金瓶梅』の巻 p124-127
  7. ^ 荒木、1990年、p.2
  8. ^ 日下、1995年、pp.34-35
  9. ^ 井波律子『中国の五大小説.下 水滸伝・金瓶梅・紅楼夢』(岩波新書、2009年) p188-190
  10. ^ a b ハナン:荒木訳、1994年、p.22
  11. ^ 荒木、1990年、pp.3-10
  12. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.39
  13. ^ 平凡社 中国古典文学大系 42 『閲微草堂筆記 ; 子不語 ; 述異記 ; 秋燈叢話 ; 諧鐸 ; 耳食録』 1971年 。ISBN 978-4582312423 。解説 p.503 。
  14. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.41
  15. ^ ハナン:荒木訳、1994年、p.55
  16. ^ 日下、1996年、pp.6-17
  17. ^ 日下、1996年、pp.27-28
  18. ^ 日下、2001年、p.247
  19. ^ 日下、1996年、pp.144-145
  20. ^ 丸尾、p.128
  21. ^ 『「金瓶梅」中的上海方言研究』,褚半農,2005年,上海古籍出版社
  22. ^ 日下、1996年、pp.36-39
  23. ^ a b 荒木、1990年
  24. ^ a b c 荒木、1990年、p.23
  25. ^ 戸田 2002年、pp.54-55
  26. ^ a b 戸田 2002年、pp.67-68
  27. ^ 日下、1995年、p.34
  28. ^ 日下、1996年、pp.170-173
  29. ^ 戸田、2002年、p.70
  30. ^ 戸田、2002年、p.67
  31. ^ 顧、pp.87-90
  32. ^ 小野・千田、pp.296-297
  33. ^ 味水軒日記(小野・千田、pp.284-285)
  34. ^ 顧、p.98
  35. ^ 森岡、p.7
  36. ^ 森岡、p.8
  37. ^ a b 川島、2010年、p.6
  38. ^ 川島、2010年、p.8
  39. ^ 川島、2010年、pp.12-16
  40. ^ 川島、2010年、p.18
  41. ^ 川島、2011年、p.43
  42. ^ 滝沢馬琴「新編金瓶梅」序文
  43. ^ 川島、2011年、p.54
  44. ^ 天保三年十一月二十六日篠斎宛書簡
  45. ^ 日下、1996年、pp.229-230
  46. ^ 野沢、p.28
  47. ^ 福田、p.8
  48. ^ 野沢、p.17
  49. ^ 福田、p.10
  50. ^ 小野、千田、pp.284-285
  51. ^ 川島、p.5
  52. ^ 小野、千田、pp.278-279
  53. ^ 戸田 2009年、pp.62-65
  54. ^ 戸田 2002年、p.63
  55. ^ 戸田 2002年、p.66
  56. ^ 小野、千田、p.279
  57. ^ 日下、1996年、pp.168-169
  58. ^ 大村、p.193
  59. ^ 荒木、1995年、p.23
  60. ^ 荒木、1995年、pp.24-25
  61. ^ ハナン: 荒木訳、1964年、p.24
  62. ^ 荒木、1995年、p.34
  63. ^ a b 荒木、1995年、p.33
  64. ^ a b 大村、p.194






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