金峯山寺
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文化財
国宝
- 本堂(蔵王堂)
- 二王門(仁王門)
- 大和国金峯山経塚出土品 1括
- 金銀鍍双鳥宝相華文経箱 1合
- 金銅経箱 台付 2合
- 附:紺紙金字法華経残闕 7紙、紺紙金字観普賢経残闕 2紙、経軸 2本
重要文化財
- 本堂内陣の巨大な厨子に安置される3体の秘仏。中尊像内に天正18年(1590年)南都大仏師宗貞、宗印等の銘がある。像高は中尊が728センチ、向かって右の像が615センチ、左の像が592センチである。寺伝では中尊が釈迦如来、向かって右の像が千手観音、左の像が弥勒菩薩を本地とし、それぞれ過去・現世・来世を象徴するという[6](「本地」は本来の姿である仏、「権現」は仏が姿を変えて現れたものの意)。通常は秘仏であるが、特別の行事の際などに開帳されることがある。[注釈 2]
- 木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊) - 秘仏本尊とは別に本堂外陣東北隅に安置される。元は吉野山の奥の院と呼ばれた安禅寺(現・金峯神社付近にあった)の本尊で、同寺が明治の神仏分離で破却されてから金峯山寺に移された。像高459センチの巨像で、制作は秘仏本尊より古く、鎌倉時代後半とされている。
- 絹本著色千手千眼観音像 - 奈良国立博物館寄託。
- 板絵著色廻船入港図額 - 万治4年(1661年)に奉納された大型の絵馬。本堂内西側に置かれている。
- 木造聖徳太子立像 - 鎌倉時代。外陣東側に安置。
- 木造童子立像(伝普成、普建)2躯 - 鎌倉時代。本尊厨子背後のガラスケース内に安置。
- 木造金剛力士立像 2躯 - 二王門安置、康成作[注釈 4][10]
- 附:像内納入品 木造五輪塔1基、大般若経4巻、地蔵菩薩印仏(包紙添)152通、地蔵菩薩印仏30通・地蔵菩薩及多宝塔印仏34通、印仏残欠一括、杮経(残欠共)2束・580枚、墨書紙片1枚
- 金銅五鈷鈴
- 金銅装笈(こんどうそう おい)
- 銅燈籠 文明三年銘
- 梵鐘 - 永暦元年(1160年)の銘がある大型の梵鐘。東大寺の鐘(「奈良太郎」)、高野山の鐘(「高野次郎」)と並び「吉野三郎」と称される。廃絶した世尊寺の鐘で、現在も世尊寺の旧地(蔵王堂から歩いて1時間ほどの吉野水分神社近く)にある鐘楼に所在する。
- 線刻蔵王権現鏡像 - 鋳銅製の八稜鏡の鏡面に線刻された蔵王権現像で、線刻鏡像の中でも優れた作品である。
典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
奈良県指定有形文化財
- 木造釈迦如来坐像 - 平安時代。
- 木造釈迦如来立像 - 鎌倉時代。
- 絹本著色吉野曼荼羅図 1幅 - 鎌倉時代。
吉野町指定有形文化財
- 金峯山寺文書
注釈
- ^ 附指定の像内納入品は2016年追加指定[5]。
- ^ 近年では、吉野・大峯の世界遺産登録を記念して、2004年(平成16年)7月から翌年6月まで開帳されたほか、2007年(平成19年)10月4日 - 8日にも開帳された。また、平城遷都1300年祭を記念して2010年(平成22年)9月1日から12月9日まで、「国宝仁王門大修理勧進」として2012年(平成24年)3月31日から6月7日まで開帳された。その後もたびたび開帳されている。
- ^ 像内納入品のうち、経典4巻、墨書紙片、竹製筒は2018年追加指定[7]。
- ^ 2019年の官報告示で像内納入品の員数が以下のように訂正された。(変更前)「杮経(残欠共)2束、582枚」→(変更後)「杮経(残欠共)2束、580枚」[9]。
出典
- ^ 張洋一「東京国立博物館保管「京都大仏雛形」について 寛文期方広寺大仏の再興に関連して」(『Museum』554号、1998年6月) p.21
- ^ 文化遺産データベース 木造蔵王権現立像
- ^ a b 『本居宣長全集』第18巻 1973年 菅笠日記 明和9年3月8日の条
- ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』10号(朝日新聞社、1997)、pp.309 - 312
- ^ 平成28年8月17日文部科学省告示第116号)
- ^ 「金剛蔵王権現」(金峯山寺サイト)
- ^ 平成30年10月31日文部科学省告示第209号
- ^ 令和4年3月22日文部科学省告示第43号で名称変更・員数訂正。
- ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第31号
- ^ 平成26年8月21日文部科学省告示第105号
- ^ “奈良・金峯山寺は「鬼も内」 蔵王堂で節分会”. 岐阜新聞. (2016年2月3日). オリジナルの2016年2月3日時点におけるアーカイブ。 2020年5月2日閲覧。
固有名詞の分類
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