酒悦 歴史

酒悦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 09:02 UTC 版)

歴史

直営店の人形町店(2014年撮影)

1675年(延宝3年)、伊勢国山田出身[2]の野田清右衛門が本郷に「山田屋」を開いたことをもって創業とする[3]。当初は伊勢(あるいは東海地方[2])から取り寄せた海産物を扱っていた[3]

のちに、寛永寺門前の上野池之端に移転[3]。酒の肴となる珍味類(うにこのわた海苔香煎[2])も取り扱うようになった[3]。「酒悦」の屋号は輪王寺門跡[注釈 1]から賜ったものとされる[3]

福神漬は、1878年(明治10年)頃に15代当主の野田清右衛門によって発明されたとされる[2]

しかしライバルの桃屋に市場を奪われ経営が悪化し、1977年(昭和52年)に経営破綻した[5]。 一説には、設備投資に関する借金の金利負担を軽減するため、1973年(昭和48年)に始めた低価格品への参入が、かえってブランドイメージを悪化させるなど経営に悪影響を及ぼしたとされる[6]:84-85。その後1983年(昭和58年)に東洋水産が同社を傘下に収め現在に至っている[1][5]

外部リンク


注釈

  1. ^ 公式サイトには「東叡山輪王寺の御門跡白川宮」とある[3]。東叡山寛永寺貫主・日光輪王寺門跡を務めた人物として輪王寺宮公現法親王(明治以後北白川宮能久親王)がいる。「北白川宮」は巷間「白川宮」と記されることもあった[4]

出典

  1. ^ a b マルちゃんのひみつ”. 東洋水産. 2021年7月17日閲覧。
  2. ^ a b c d 【酒悦の歴史】と【福神漬の由来】”. Yahoo ショッピング. 酒悦. 2021年7月15日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 会社情報”. 酒悦. 2021年7月15日閲覧。
  4. ^ 東京各社撰抜新聞”. =ニュースの誕生――かわら版と新聞錦絵の情報世界」. 東京大学総合研究博物館. 2021年7月17日閲覧。
  5. ^ a b 上野慎一 (2021年6月29日). “【おさらい】「造船」だけど造船やってません。「水産」だけどインスタント麺が主力です。社名がいつでも「名は体を表す」わけではない!”. ファイナンシャルフィールド. 2021年7月17日閲覧。
  6. ^ 石名坂邦昭経営戦略とリスク・マネジメント」『文研論集』第90号、生命保険文化研究所、1990年、NAID 400045615282021年7月17日閲覧 


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