護国戦争 影響

護国戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/09 07:52 UTC 版)

影響

護国戦争は、中華民国成立以後、南北分裂開始の端緒となった。袁世凱は本来、中華民国の総統として擁立されていたが、皇帝になりたいという野心から孤立した状態に陥った。南方各省の軍人は軍事力で北京政権に反抗したものの、中央を征服するほどの力もなかった。袁世凱死後、北洋政府は全国に号令ができる軍人が現れず、北洋政府系の北洋軍閥内で相争うようになった。

孫文は広州護法運動を展開し、北京とは別の、広東軍臨時政府を樹立した。中華民国内の分裂は10年以上続き、北伐蔣桂戦争中原大戦などを経て、蔣介石が中華民国内で権力を獲得していくことになった。

参考文献

  • 鐙屋一 著「「三次革命」における「軍務院」の生成と消滅――民国初期議会政治史の一断面――」、野口鐵郎編 編『中国史における教と国家 筑波大学創立二十周年記念東洋史論集』雄山閣出版、1994年9月。ISBN 4-639-01251-9 

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