観世音寺 伽藍

観世音寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 07:56 UTC 版)

伽藍

金堂

かつて存在した門、回廊などは失われている。県道から並木道の参道を北へ進み、南門跡を過ぎると、やや小高くなった広場があり、左方に金堂、正面に講堂が建つ。この他、広場の東方に塔跡と鐘楼、その奥に宝蔵、講堂裏手に僧坊跡がある。また、寺の西に隣接して戒壇院が建つ。「天下三戒壇」の一とされた戒壇院の後身であるが、現在の戒壇院は観世音寺とは別法人であり、宗派も臨済宗である。

発掘調査の結果によると、創建当初の伽藍は東西93メートル、南北78メートルの回廊で囲まれた敷地の東に五重塔、西に金堂が建つもので、回廊の南面中央に中門、北面中央に講堂が建っていた。これら中心伽藍の南には南大門、北には東西に長い僧坊が建つほか、多くの付属建物があり、境内地は方三町に及んでいた。金堂は南でなく東を正面とし、五重塔と向かいあう形で建てられていた。金堂を東向きに建てる点は、飛鳥の川原寺とも共通している。川原寺は観世音寺と同じく斉明天皇ゆかりの寺であり、前述の出土瓦の形式等からも両寺の結びつきが推定される。五重塔は焼け残った心礎のみが残っており、塔は一辺が6mと推定されている。

南大門跡
参道両脇にいくつかの礎石が残っている。礎石自体は創建当初のものと推定されるが、当初の位置を保っていない。
中門跡
金堂、講堂の建つ広場の手前の石段のあたりにあったと推定されるが、礎石などの遺構は残っていない。
金堂
入母屋造瓦葺きの簡素な建物で、寛永8年(1631)再建。境内の西側、創建時の金堂の跡に東面して建つ。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、堂内奥(西側)の壁を背にして中央に本尊阿弥陀如来坐像を安置し、その左右に四天王像を2体ずつ安置し、これらの手前に石造狛犬一対があった。さらに堂内北の壁際には本尊に近い側から順に十一面観音立像、大黒天立像、地蔵菩薩半跏像、阿弥陀如来立像、南の壁際には本尊に近い側から順に吉祥天立像、地蔵菩薩立像、兜跋毘沙門天立像、聖観音立像が安置されていた[8][9]。現在これらの像は宝蔵等へ移動され、堂内には不動明王坐像が安置されている。
講堂
「本堂」ともいう。境内正面奥の一段高くなった位置に南面して建つ、入母屋造瓦葺き二重屋根の仏堂。元禄元年(1688年)再建。1959年に宝蔵(収蔵庫)ができるまでは、像高5メートル前後の巨像3体を含む5体の観音像を安置していた。すなわち、堂内奥(北側)の壁を背にして中央に本尊聖観音坐像を安置し、その向かって左に十一面観音立像(像高5メートル)、右に不空羂索観音立像が安置され、堂内東の壁を背にして十一面観音立像(像高3メートル)、西の壁を背にして馬頭観音立像が安置されていた[8][10]。現在これらの像は宝蔵へ移動され、堂内にはもと金堂にあった聖観音立像を安置する。堂の周辺に残る礎石は、かつては創建当初のものと考えられていたが、発掘調査の結果、現在地表に見える礎石は平安時代以降のものと確認された。堂の左手前には奈良時代のものと伝承する石臼(碾磑)がある。石臼も日本最古と言われており、一段で400Kgの重さがある。
塔跡
鐘楼前に塔の心礎が残り、直径約90センチメートルの柱穴がある。発掘調査の結果、この心礎は当初位置から動いていないことが確認されている。
僧坊跡
講堂の背後にある。延喜五年の「資財帳」にみえる僧坊の跡で、南北10メートル、東西100メートルの規模があった。現在地表にある礎石は実物ではなくレプリカである[11]
伝玄昉(日偏に「方」)墓
講堂の西、道路を隔てた民家の脇に立つ浮彫の宝篋印塔で、奈良時代の僧・玄昉の墓と伝承されているが、塔自体は中世のものである[12]

  1. ^ 金堂本尊は阿弥陀如来(現在は宝蔵に安置)、講堂本尊は聖観音であるが、天台宗九州西教区のサイトにある観世音寺の紹介ページ 観世音寺, http://www.tendai924.com/kanzeonji/ によると、宗教法人観世音寺の規則上の本尊は、現在宝蔵に安置されている聖観音坐像(旧講堂本尊)であるという。なお、現在講堂に安置されているのは上述の聖観音坐像とは別の、立像の聖観音像である。また、上述のサイトによれば、創建当初の本尊は不空羂索観音で、平安時代後期に聖観音が本尊になった。
  2. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 12.
  3. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 18.
  4. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 13.
  5. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 26.
  6. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 40.
  7. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 72.
  8. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 79.
  9. ^ 金堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、211コマなど)
  10. ^ 講堂内のかつての仏像安置状況の写真は『観世音寺大鏡』に掲載されている(参照:国立国会図書館デジタルコレクション、15コマなど)
  11. ^ 境内の説明は(九州歴史資料館(2006), p. 50-67)による。
  12. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 70.
  13. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 72-81.
  14. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80.
  15. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 73.
  16. ^ a b 九州歴史資料館(2006), p. 75,80,81.
  17. ^ 猪川和子 1957, p. 2129.
  18. ^ 猪川和子 1960, p. 35.
  19. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 75,81.
  20. ^ 九州歴史資料館(2006), p. 77.
  21. ^ 杉山洋『梵鐘』(『日本の美術』355号)、至文堂、1995、pp.20 - 23
  22. ^ 『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)、毎日新聞社、2000
  23. ^ 五木寛之『百寺巡礼 第十巻 四国・九州』
  24. ^ 像内納入品のうち経典2巻は1994年、盗難に遭っている(文化庁文化財保護部監修『文化財保護行政ハンドブック 美術工芸品編』(ぎょうせい、1998)、p.128、による。)
  25. ^ 文化財>史跡(太宰府市ホームページ)。
  26. ^ 文化財>建造物(太宰府市ホームページ)。






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