藤原宇比良古 藤原宇比良古の概要

藤原宇比良古

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 23:05 UTC 版)

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生涯

藤原仲麻呂の妻となり、真従真先訓儒麻呂朝狩新田部親王の娘・陽侯女王の子との説もある)・真文・児従の生母となった。

天平21年(749年)4月1日、大仏建立の功により、従五位上から正五位下に叙せられる。正倉院中倉献物牌に「藤原朝臣袁比良売献遮那仏」とある[2][3][4]。同年、改元された天平勝宝元年(749年)9月13日、さらに従四位下に叙せられ、天平宝字4年(760年)正月5日、藤原仲麻呂第への孝謙天皇の行幸の際に、従三位から正三位に昇叙される。同年12月の勅により、職掌の重い尚侍尚蔵兼の封戸位田・資人を男性官人と同じく全給にすることにしたのは[5]、仲麻呂の室である宇比良古がその職にあったためと推測できる[6]

以上のように、聖武孝謙淳仁の3代にわたって女官として仲麻呂を支えるが、尚蔵兼尚侍・正三位の時、現役のまま、天平宝字6年(762年)に没してしまう。朝廷は100疋・麻布100端・鉄100挺を贈り弔った[1]

彼女の死は仲麻呂政権の衰退の原因のひとつとも言われ、宇比良古の死から2年後、仲麻呂の一族は滅亡することになる。

官歴

『続日本紀』による。

参考文献

  


  1. ^ a b c 続日本紀』天平宝字6年6月23日条
  2. ^ 正倉院棚別目録
  3. ^ 正倉院御物銘文集
  4. ^ 正倉院御物の銘識に現われた人々
  5. ^ 『続日本紀』天平宝字4年12月12日条
  6. ^ 吉川弘文館『日本古代氏族人名辞典』


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